世界で一番おもしろい「改訂履歴」は、カメルーン西部の町フンバンに残っている。1896年から1918年までのあいだに、ひとりの王が自分たちの言語を書くための文字を、6回も7回もつくり直した。初版は465個の絵文字。最終版は80字。どの段階で何字を落としたかまで、記録が残っている。
つくったのはイブラヒム・ンジョヤ。バムン王国17代目の王(ムフォン)で、在位は1886年ごろから1933年まで。アラビア文字もヨーロッパのアルファベットも手に入る環境で、彼はあえて自分の言語のための文字をゼロから設計した。きっかけは夢だったと伝えられている。動機のほうははっきりしていて、口伝だけでは王国の歴史が抜け落ちたり書き換わったりする、という危機感だった。
版を重ねるたびに、字が減っていく
この話が「文字をつくった王」で終わらないのは、改訂の方向が一貫して削る側だったからだ。研究者が整理した各段階は、だいたいこうなっている。
- 第1段階(Lewa、1896〜97年):465個の絵文字(文献により511個)+数字10個
- 第2段階(Mbima、1899〜1900年):72字を落とし、45字を追加
- 第3段階(1902年ごろ):さらに56字を落として371字+数字10個
- 第4段階(1907〜08年ごろ):285字+数字10個
- 第5段階(同時期):195字+数字10個
- 第6段階(A ka u ku、1910年ごろ):82字+数字10個
- 第7段階(Mfemfe、1918年ごろ):80字。うち10字は音節と数字を兼ねる
第6段階の呼び名「A ka u ku」は、最初の4つの記号をそのまま並べたものだ。「いろは」や「ABC」と同じ発想で、体系の先頭が名前になっている。
注目したいのは、14年という期間で起きた質の変化だ。初版は、覚えている内容を思い出すための絵の一覧——つまり記憶の補助だった。最終版は160の音節を書き分けられる音節文字になっている。絵を減らしながら、書ける範囲は広がった。字数を8割以上落として表現力が上がったのだから、設計としてかなりきれいな結果だ。
削る根拠は「実際に何を書いたか」だった
なぜ削れたのか。ンジョヤが文字を机の上に置いたままにしなかったからだ。彼はバムン語を書き言葉として教える学校を設け、1910年の王宮学校の写真が残っている。そして新しい文字で、地図、出生証明、建築の図面、行政文書、裁判記録、会計、歴史の記録がつくられた。1918年には印刷用に銅の活字まで鋳造している。
順番が大事だ。きれいな文字体系を完成させてから使い道を探したのではなく、帳簿や証明書や地図という用途を先に動かして、使われ方を根拠に字を削っていった。毎日書く人間が465個の絵を使い分けられるわけがない、という現実が改訂を押し進める。使っていなければ、どれが余分かは永遠にわからない。
1931年に止まり、2007年から戻ってきた
この文字は1931年に使われなくなる。ンジョヤがヤウンデへ送られ、2年後の1933年にそこで没したためだ。設計者が現場から離れた時点で、学校も印刷も止まった。個人の推進力に乗った仕組みの弱点が、そのまま出ている。
おもしろいのはここからだ。2007年ごろ、バムン文字を復活させるプロジェクトが始まった。拠点は旧王都フンバンで、いまは地元の子どもたちがまたこの文字を学んでいる。米国議会図書館は調査ガイドを公開していて、そこには英国図書館の Endangered Archives Programme による「バムン文字・文書プロジェクト」のアーカイブ記録と、カリフォルニア大学バークレー校の Script Encoding Initiative と共同で出された2009年の符号化提案が並んでいる。王宮に積まれていた紙を撮って目録化する作業と、文字を国際規格に載せる作業が、同じ流れの中で進んだわけだ。
結果、バムン文字は U+A6A0 から始まるUnicodeのブロック(88コードポイント、Unicode 5.2/2009年)に入った。さらに歴史的な第1〜6段階の字は「Bamum Supplement」(U+16800 から、576コードポイント、Unicode 6.0/2010年)として別に収録されている。消えかけた途中の版にまで番号が振られて保存された、ということだ。表示側も揃っていて、Googleの Noto Sans Bamum は2つのブロックから661文字分、662グリフを持つ。
この「規格に載る」という一手がカメルーンでどれだけ重いかは、言語の数を見るとわかる。この国には275の現地語が生きている(Ethnologue)。公用語はフランス語と英語の2つだ。放っておけば、少数の言語とその文字はスマートフォンの画面から静かに消えていく。Unicodeに入ってフォントが存在するというのは「今日の端末で打てる」という意味であり、復活の前提条件そのものだ。
持ち帰れる3つの型
1. 初版は粗く出して、削る前提で番号を振る
465字の第1段階は完成品ではなく、第2段階の材料だった。自分のテンプレート、チェックリスト、サービスのメニュー、営業資料——どれも「版」として番号を振れる。そして次の版では、足すのではなく落とす。落とした字数を記録しておくと、改訂が感想ではなく事実になる。
2. 削る根拠は、使用の記録から取る
何を削るかは、会議で決めるより使用履歴で決まる。地図や証明書を実際に書いたからこそ、どの記号が要らないかが見えた。つくったものを早く実務に流し、「一度も使われなかった項目」を次版の削除候補にする。これだけで、たいていの仕組みは半分の大きさで同じ仕事をする。
3. 自分が離れても動く場所に置く
1931年の停止と、2009年の符号化。この対比が一番効く。属人的な努力は、本人が現場を離れた瞬間に止まる。逆に、他人が維持しているインフラ(国際規格、公開フォーマット、標準的な保存形式)に載せたものは、数十年後に別の誰かが再開できる。小さく始めた実験でも、ひと区切りついた時点で「これは自分がいなくても読める形式か」を点検しておく価値がある。
19世紀末の内陸アフリカで王が7回つくり直した文字が、いまスマートフォンのフォントに入っていて、フンバンの小学生が習っている。版を重ね、使って削り、最後に標準へ載せる。やっていることは、今日の僕らの小さな実験とまったく同じ型だ。規模が違うだけで手順は共通している。だから真似できる。