他人の森に入ってブルーベリーを摘み、それを売っていい

スウェーデンで一番面白い仕組みは、森の入口にある。私有地であっても、誰でも歩いて入っていい。野生のブルーベリー(正確にはビルベリー)やコケモモ、キノコ、花を、地主に断りなく摘んでいい。そして摘んだものを売ってもいい。環境保護庁の公式ガイダンスは、大規模な採取や販売目的の採取まで認めている。条件はひとつだけで、地主に不当な迷惑をかけないこと。

所有権の扱い方が巧い。野生のベリーやキノコは、法的には地主のものだ。ただし地主は、人が摘むのを止められない。所有権を否定していない。「止める権利」だけを外してある。だから揉めない。

これがアレマンスレッテン(allemansrätten、万人の権利)。単独の法律ではないのが面白いところで、憲法の統治法典に「上に定めたことにかかわらず、すべての者は万人の権利に従って自然に立ち入ることができる」と書かれ、その周りを個別の法律が囲んで限界を決めている。覚える原則は2つだけ。邪魔しない、壊さない。

テントも張れる。ただし住居・農地・放牧地の近くは不可、大人数なら地主の許可が必要。トリュフだけは例外で、採るには地面を掘るから許可が要る。「掘るかどうか」で線を引いている。線の引き方が具体的で、現場で判断できる。

国は森に柵を立てず、税と雇用に線を引いた

開かれた資源をどう管理するか。スウェーデンの答えは、資源そのものを閉じないことだった。代わりに、使い方の段階ごとに線を引いている。

まず税。自分で摘んだ野生のベリー・キノコ・松かさの売上は、年12,500クローナまで申告不要・非課税だ。しかもこの枠は一人あたりなので、家族4人で摘めば4人分ある。対象外になるのは、事業として売る場合、誰かに雇われて摘む場合、そして栽培物(イチゴなど)を売る場合。つまり「個人が小さく試す」範囲は完全に無税・無手続きで、事業の規模に入った時点ではじめて課税の線を越える。

そして実際、これは産業になっている。毎年夏、タイから季節労働者が来てブルーベリー・コケモモ・クラウドベリーを摘む。ここでスウェーデンが柵を立てた場所が、僕には一番示唆的だった。森ではなく、雇用許可だ。2023年、移民庁が外国人のベリー採取者に出した就労許可はわずか89件。多くの雇用主が、受け入れ可能な労働条件を示せなかったからだ。翌2024年には条件を示せる雇用主が増え、タイ人採取者への季節就労許可は約950件まで戻った。

資源は開けたまま、取引の条件だけを締める。森へのアクセスを制限すれば全員が損をするが、雇用契約の審査を厳しくすれば、困る相手は条件を示せない雇用主だけで済む。同じ「規制」でも、どこに置くかで効き方がまったく違う。

同じ設計が、1766年から書類にもある

この「既定は開いている」という発想は、自然だけの話ではない。1766年の出版の自由法は、世界初の出版自由法として検閲を廃止し(神学書は除外された)、同時に公文書の公開原則を導入した。260年前である。これは今もスウェーデン憲法を構成する4つの基本法のひとつで、世界各国の情報公開法はここから派生したものだと位置づけられている。

森と書類で、設計思想がそろっている。既定は開いている。閉じたいなら、名前のついた例外を法律に書く。逆ではない。「原則非公開、例外的に公開」と「原則公開、例外的に非公開」は、条文の数だけなら似ていても、社会に出てくる結果が違う。前者では、情報を得たい側が毎回理由を用意する。後者では、閉じたい側が毎回理由を用意する。立証責任が反対側に乗っている。

持ち帰れる型:許可を取りに行く前に、既定で開いているものを数える

この国の設計から、そのまま使える型が3つ取れる。

  • 既定で開いているものを先に数える。新しい市場や分野に入るとき、最初の仕事は許可を取りに行くことではなく、「許可なしに使えるものは何か」を列挙することだ。スウェーデンの森は、その答えが驚くほど大きい場所だった。日本でも、商業登記は誰でも請求できるし、上場企業の有価証券報告書はEDINETで無料で読める。使っていない開放資源は、たいてい自分の足元にある。
  • 資源ではなく、関係に線を引く。何かを止めたくなったとき、資源へのアクセスを閉じるのが一番乱暴で、一番損が大きい。雇用許可の審査のように、関係や契約の側に線を置けると、全体を開けたまま問題だけを締められる。自分のサービスの設計でも同じことができる。
  • 最初の実験は、無税・無許可の枠の中で終わらせる。12,500クローナの非課税枠は、まさに「小さく試す人を手続きから解放する」ための線だ。どの分野にも似た枠がある。帳簿も届出も要らない範囲でまず一周回して、手応えが出てから制度に乗る。順番を逆にすると、まだ検証していないものに手続きコストを払うことになる。

スウェーデンの森が教えてくれるのは、「開かれている」が無秩序の別名ではないということだ。開けておく場所と、線を引く場所を、意図をもって選び分けてある。だから長く続いている。自分の仕事でも、どこを開けてどこに線を引くかは選べる。まずは、すでに開いているものを数えるところから。

参考・出典