スイスで一番面白いのは時計でもアルプスでもない。値札を、決める人の手が届く場所に置いてあるという設計だ。ゴミを捨てる瞬間、家を建てる瞬間に、コストが目の前にある。そして「そこがずれた時に何が起きるか」まで、この国は実例で見せてくれる。年金の話がそれだ。順に見ていこう。
1. 値札は「捨てる動作」に貼ってある
スイスの自治体の約4分の3では、分別しない家庭ゴミは有料の指定袋に入れないと出せない。瓶・紙・アルミ・生ゴミは回収所に持ち込めば無料。混ぜて出すなら、袋を買う。つまり、ゴミを分けるか分けないかの判断と、その代金の支払いが、まったく同じ動作のなかに入っている。
効果は測られている。Stefano Carattini、Andrea Baranzini、Rafael Lalive による研究では、この袋課金によって未分別ゴミが40%減少した。家計アンケートと行政の実測データの両方で同じ結果が出ていて、重さで測っても容積で測っても変わらない。有機ゴミやアルミを分別する世帯が増え、「隣の州にゴミを運ぶ」といった抜け道の兆候も確認されなかった。
もっと面白いのは世論の動きだ。導入前、市民はこの課金を「効果がない」「不公平だ」と批判していた。ところが導入後は評価が反転し、「もっと袋代が高くてもいい」という声まで出てくる。制度の良さは、説明では伝わらず、体験で伝わる。
土台も効いている。スイスは2000年1月1日から可燃ゴミの埋め立てを禁止した。燃やすか、分けて回収するかの二択しかない。都市ゴミのリサイクル率は50%を超えている。
2. 「やらない」が無料にならない仕組み
もうひとつ、スイスには世界でほぼ唯一の制度がある。全住民分の避難シェルターだ。
根拠は1963年10月4日の民間防衛施設に関する連邦法で、新しい住宅にはシェルターを備えることが求められる。現在は約37万のシェルターがあり、うち公共のものが約5,000。合わせて900万人分を超える収容能力になる。設計要件も具体的で、酸素の自給は最大14日間、住民が到達するまでの時間は平地で最大30分、山岳地域で60分とされている。
ここが設計として一番うまい。建てないという選択にも値札がある。自宅に造らない場合は代替金を払い、その金が公共シェルターの整備に回る。金額は1人あたり400〜800フランだったものが、1席あたり1,400フランへの引き上げが決まった。そうして州の金庫には現在、約8.8億フランが積み上がっている。2012年には、すでに十分な収容率がある地域では義務が緩められた。実際のカバー率にはベルン州の107%、ジュネーヴの76%といった差がある。
そしてこの国は、シェルターを神聖なものとして空けておくことも求めていない。ワインセラーやパーティールームとして日常的に使われている部屋が、そのまま要件を満たしている。普段使いできる備えは、放置されない。点検もされるし、場所も覚えている。
3. 値札が後から届くと、どうなるか
では、同じ国で決定と請求書が別の日に届いたらどうなるか。これがとても示唆的だ。
2024年3月3日、スイスは「13回目の年金」を求める国民発議を賛成58.25%で可決した。投票率は58.36%。そして同じ日、定年を66歳に引き上げる発議は74.75%の反対で否決された。受け取る側の決定は通り、長く働く側の決定は通らなかった。
なぜそうなったか。この2つは別々の提案で、「13回目の年金をもらうか」という問いに財源が組み込まれていなかった。支給は2026年12月から始まる。一方で財源の議論は後からついてきて、2026年6月、下院は付加価値税の0.4ポイント引き上げを104対87で可決し、給与からの拠出0.2ポイント増は98対96(棄権4)で否決した。そして財源の発効は2028年。つまり最初の2回分、約90億フランは財源が決まらないまま支払われる。
これは失敗談ではなく、対照実験として読むべきだ。ゴミ袋とシェルターが効いているのは、値札が決定と同じ場所にあるから。年金が後追いの調整を続けているのは、そこが分かれたから。同じ国、同じ有権者、違う設計。結果が変わる。
4. 自分の手元で小さく試せること
- 値札を行動の瞬間に移す。 月末のレポートで費用を振り返るのをやめて、使う操作のすぐ横に数字を出す。ゴミ袋の発想そのままだ。チーム経費でも、API利用料でも、やり方は同じ。
- 「やらない」に価格をつける。 スイスの代替金は、不作為を無料にしない。先延ばしや未対応の項目に明示的なコストを置くと、判断が動き出す。
- 決定と請求書を同じ日に届ける。 「やるかどうか」と「いくら払うか」を1つの問いにまとめる。分けた方が通りやすいが、通した後で揉める。
- 備えを普段使いの形にする。 ワインセラー兼シェルターの発想だ。バックアップでも手順書でも、日常の動線に置いたものだけが生き残る。
スイスがうまいのは、人間に高い意識を要求しないところだ。要求しているのは制度の置き場所だけ。値札をどこに置くかは、たいてい自分で決められる。今日ひとつ、手元で動かしてみるといい。
参考・出典
- Royal Economic Society: Taxing people's rubbish — evidence from Switzerland
- Wikipedia: Waste management in Switzerland
- SWI swissinfo.ch: Switzerland turns nuclear shelters into wine cellars or party rooms
- Wikipedia: 2024 Swiss referendums
- SWI swissinfo.ch: Parliament increases VAT for the 13th AVS pension