アフリカ映画の最高賞は、海を持たない内陸国の首都で決まる。ブルキナファソのワガドゥグだ。2025年3月1日、第29回FESPACO(ワガドゥグ全アフリカ映画・テレビ祭)の最高賞「エタロン・ドール・ド・イェネンガ(イェネンガの金の馬)」は、ブルキナファソのダニ・クヤテ監督『Katanga, la danse des scorpions』に渡った。開催国が最高賞を取るのは28年ぶりだった。

面白いのはここだ。この国のスクリーン数は、2009年の統計で全国10枚。人口10万人あたり0.1枚。映画館の数で言えば小さな地方都市にも届かない。それでもアフリカ大陸の映画人は、2年に1度ワガドゥグに集まる。1969年から、ずっとだ。

設備で勝ったわけではない。ブルキナファソは、別の3つを取った。

1. まだ誰も座っていない椅子に、先に座った

FESPACOは1969年、「アフリカ映画週間(Semaine du cinéma africain)」として始まった。1972年に政令で正式な機関として認められ、名前もFESPACOになった。以来、奇数年の3月に、同じ街で開かれ続けている。最盛期の1990年代には国内外から数十万人を集め、現在もサハラ以南アフリカ最大の映画上映の場とされる。

1969年という年が効いている。アフリカ各国が独立して10年前後、自国の映画をまとめて見せる定期的な場は、まだどこにもなかった。椅子が空いていた。ブルキナファソ(当時のオートボルタ)は、そこに座った。

「定点」は、資源の少ない側が中心になれる数少ない方法だ。毎回同じ場所・同じ時期に開く、を55年以上続けると、それは誰かの企画ではなく世界の時間割になる。自分の分野で「毎年ここで集まる」が存在しない領域はどこか。そこが空席だ。

2. 作る前に「配る側」を押さえた

ここが一番実務的で、一番真似の効くところだ。

1970年1月5日、オートボルタは国営映画会社SONAVOCI(Société Nationale Voltaïque du Cinéma)を設立し、映画の配給を国有化した。サハラ以南アフリカで最初の例とされる。それまでフランス語圏アフリカの配給は、SECMAとCOMACICOという2つのモナコ企業が1930年代初頭から独占していた。何を上映するかを、現地の誰も決めていなかったわけだ。

SONAVOCIは既存の映画館6館を近代化し、さらに6館を新設した。そして肝心なのが資金の回し方だ。興行収入の10%を「ボルタ映画発展基金(Fonds de Développement du Cinéma Voltaïque)」に回す仕組みをつくった。この基金から生まれたのが、同国初の長編『Le sang des parias』(1972年、ジム・ママドゥ・コラ監督)、続く『Sur le chemin de la réconciliation』(1976年、ルネ・ベルナール・ヨンリ監督)である。

順番が逆なのだ。普通は「いい作品を作れば流通はついてくる」と考える。ブルキナファソは、チケット窓口を先に押さえ、その売上から作品を生やした。

人材も同じ発想で内製した。映画学校INAFECは1977年から1987年まで運営され、資金の8割はブルキナファソ政府が出した。アフリカの他国は参加していない。大陸の映画人を育てる学校を、自前で抱えたということだ。

小さく試せる形に落とすなら、こうなる。新しいものを作る前に、「それはどの棚に、誰の判断で並ぶのか」を1行で書けるか確認する。書けないなら、作品より先に棚を設計する。そして売上の一定%を、次を生む枠に先に固定してしまう。残ったお金で投資しようとすると、残らない。

3. 権威の名前を、外から借りなかった

最高賞の名は1972年から「イェネンガの馬」である(2005年以降は金・銀・銅に分かれた)。イェネンガは、モシの口承に出てくる戦士の王女だ。父ネデガ王は、彼女が戦力として優秀すぎるために結婚を許さなかった。彼女は馬で北へ向かい、狩人リアレと出会って息子ウエドラオゴを産む。ウエドラオゴとは「牡馬」の意で、モシ王朝群の始祖とされる。

アフリカ映画で最も重い賞のトロフィーが、ヨーロッパの固有名でも抽象的な英単語でもなく、モシの始祖伝承に出てくる王女の馬である。

国名も同じ設計だ。1984年8月4日、オートボルタは「ブルキナファソ」に改名した。「ブルキナ」はモシ語で「真っ直ぐな」、「ファソ」はジュラ語で「父の家=祖国」。国民を指す「ブルキナベ」の「-bè」はフラ語で「人々」を意味する。つまり国名と国民名を、3つの異なる言語から1語ずつ取って組んでいる。どの民族の言葉も独り占めにならないよう設計された名前だ。多様性を、乗り越える壁ではなく看板の材料にしている。

衣服にも及んだ。トマ・サンカラ政権(1983-1987年)は、国内の手織り綿布「ファソ・ダン・ファニ」を公務員の装いとして求めた。大臣や外交官が身につけるものを輸入品から国内の手仕事に替えることで、権威の行き先を国内の織り手——その多くは農村の女性だった——に向け直した。

名前と見た目は、後からの飾りではない。何を権威と見なすかの宣言だ。自分の屋号や商品名を、借り物の外来語で埋めていないか。内側の語彙で組めるなら、そちらが強い。

持ち帰る3つの型

  • 空いている定点を取る:規模ではなく「毎回ここ」で中心になれる。空席を探すほうが、席を奪うより速い。
  • 作る前に配る側を押さえる:棚・窓口・入口を先に設計し、その売上の一定%を次の制作に固定する。
  • 権威の名前を内側から作る:賞・屋号・制服まで、自分の土地の語彙で組むと、真似されにくい重さが出る。

2025年の第29回は2月22日から3月1日に開かれ、ホスト国が28年ぶりに最高賞を手にした。スクリーン10枚の国が55年以上にわたって大陸の映画の中心であり続けているのは、偶然ではなく設計である。そして上の3つは、国の規模を必要としない。

参考・出典