ブルネイという国は、1967年から今日まで、自国の金融政策を自分で決めていない。決める力を奪われたのではなく、「シンガポールが決めたものに乗る」という選択を、59年間続けている。
そしてブルネイの中央銀行が公表している数字によれば、1981年から2023年までのインフレ率は平均1.1%。世界中の中央銀行が政策金利をひねり回して狙う数字を、自前の政策なしで出し続けている。
これは手抜きではなく設計だ。ブルネイを順に見ていくと、「自分ではやらない」と決めたことの横に、それを支える具体的な仕組みが必ず置かれている。通貨、森、税。この三つで同じ型が三回繰り返される。面白いのはその型のほうなので、順番に見ていく。
1ドルが、二つの国で同じ1ドルになる
ブルネイ・ドルとシンガポール・ドルは、1対1で交換される。手数料はゼロ。為替レートがたまたま近いという話ではなく、二国間の協定で固定されている。1967年6月12日に発効した通貨交換協定(Currency Interchangeability Agreement)がそれだ。
もともとは三カ国の取り決めだった。マレーシア、シンガポール、ブルネイ。三国はそれぞれ自国の通貨発行機関を持ちながら、通貨を相互に自由交換する仕組みをつくった。1973年5月8日、マレーシアがブレトンウッズ体制の崩壊を理由に離脱する。残った二国はそのまま続けて、今年で59年目になる。
仕組みとして面白いのは、法的な位置づけだ。シンガポール・ドルはブルネイで「法定通貨(legal tender)」ではない。「慣習通貨(customary tender)」という扱いで、店に受け取り義務はない。にもかかわらず、実際にはほぼ通る。
なぜ義務がないのに通るのか。上流で保証されているからだ。ブルネイ・ダルサラーム中央銀行(BDCB)とシンガポール金融管理局(MAS)は、相手国の通貨を額面どおり、手数料なしで自国通貨に交換する義務を負っている。銀行はいつでも等価で引き取ってもらえる。だから銀行は受け取れるし、銀行が受け取るなら小売も受け取れる。末端に義務を課さなくても、上流の保証だけで流通が成立している。
これを支えているのがカレンシーボード制だ。2004年の通貨令(Currency Order, 2004)により、ブルネイ・ドルの紙幣・硬貨を発行できるのはBDCBだけで、発行したすべての紙幣・硬貨に裏付け資産を持つことが義務づけられている。刷った分だけ資産がある。だからペッグが投機に試されにくい。
そしてBDCBは、自分たちの金融政策枠組みの説明の中で、シンガポールの金融政策がブルネイの金融環境に直接的な影響を及ぼす、と明記している。輸入していることを隠していない。むしろ前提として公開している。
この関係は記念行事にもなっている。40周年の2007年には両国が同じ記番号を持つ20ドル記念ポリマー紙幣を、50周年の2017年には50ドル記念紙幣を共同発行した。通貨をめぐる約束を半世紀以上守り合った相手と、記念紙幣を一緒に刷る。そういう関係を59年続けている。
持ち帰れる視点はこれだ。自前で基準をつくるコストと、強い基準に乗るコストを、いちど並べて比べる。自作したほうが自由度は高い。だが、信用を一から積む時間も自分持ちになる。ブルネイは自由度を売って、隣国が積み上げた信用を即座に買った。
伐らなかったから、残った
二つ目は森だ。ここには、ほぼ理想的な比較実験がある。
2013年にPLOS ONEで発表された衛星解析の研究が、1990年から2009年までの20年間のボルネオ島をランドサット画像で分析している。結果はこうだ。ブルネイは国土の54%が、一度も伐採されていない原生林のまま残っていた。同じボルネオ島にあるマレーシアのサラワク州とサバ州を合わせると、その数字は22%。残りの多くが、高インパクトの伐採か開墾の影響を受けていた。
同じ島、同じ樹種、同じ木材市場、同じ20年間。違ったのは一点だけ、木を換金する必要があったかどうかだ。ブルネイには石油とガスがあった。だから木材を売らなくても国家財政が回った。森林政策が立派だったというより、森を売らずに済む別の稼ぎ口が先にあった。
結果として残った森は数字にも出ている。世界銀行のデータでは、2020年時点のブルネイの森林面積は国土の72.1%。1991年には最初の国立公園であるウル・トゥンブロン国立公園を設けた。面積は488.59平方キロで、トゥンブロン地区のおよそ4割にあたる。
この公園には車で入れない。首都からボートでバンガルの町へ渡り、道路でバタン・ドゥリまで行き、そこから細長いボートでトゥンブロン川を遡る。中に入ると約7キロの遊歩道が張りめぐらされ、高さ50メートルの林冠ウォークウェイから樹冠を見下ろせる。道路を通さなかったこと自体が、そのまま保護装置として働いている。ブルネイはさらにインドネシア、マレーシアと共同で、2200万ヘクタールにおよぶ「ハート・オブ・ボルネオ」の保全に取り組んでいる。
持ち帰れる視点はこれだ。主力の稼ぎ口が一本しっかり立っていると、手持ちの資産を安値で切り売りせずに済む。これは個人の仕事でもそのまま効く。生活費を賄う柱があるから、安い案件を断れる。断れるから、いい仕事だけが手元に残る。逆に柱がないと、いちばん価値のある資産から先に現金化することになる。時間でも、評判でも、原生林でも、構造は同じだ。
税を取らない国の、取らないで済む理由
三つ目は税だ。ブルネイは東南アジアで唯一、個人所得税がない国とされる。輸出税も給与税もない。
その原資がどこから来ているかは、きちんと公開されている。2025年3月2日、立法評議会での予算審議で示された2025/2026年度の見通しはこうだ。政府歳入の見込みは32億6000万ブルネイ・ドル。そのうち75%にあたる24億5000万ブルネイ・ドルが石油・ガス部門から来る。非石油ガス部門は8億224万ブルネイ・ドルにとどまる。
同時に、同年度の予算規模は63億5000万ブルネイ・ドルで組まれている。つまり歳入の約2倍を支出する計画だ。その差を支えるのが、政府系ファンドであるブルネイ投資庁(BIA)が積み上げてきた運用資産になる。石油価格が振れた年の緩衝材として置かれている。
ここは明るい面だけでは終わらない。歳入の75%を一つのセクターに置く構造は、そのセクターの価格変動が財政にそのまま届くということでもある。ブルネイ自身がそれを前提にしていて、非石油ガス部門の育成は長年の国家目標であり続けている。
持ち帰れる視点はこれだ。「取らない」「やらない」は優しさではなく、別の場所に原資があるという申告である。誰かが「うちは手数料を取りません」と言ったら、ありがたさを感じる前に、どこで回収しているのかを探す。その構造が見えれば、その提案が続くのか、いつか終わるのかも読める。
三つに共通する一つの型
並べると、同じ形が三回出てくる。
- 金融政策を自前で持たない → カレンシーボード制と、中央銀行同士の等価交換義務が支える
- 森を換金しない → 石油・ガスの歳入が支える
- 所得税を取らない → 同じ石油・ガスと、政府系ファンドの蓄積が支える
型はひとつだ。「やめる」という判断と、「それを支える具体的な仕組み」を必ずセットで置く。逆に言えば、支える仕組みのない「やらない」は、決断ではなく先送りでしかない。ブルネイが上手いのは、やめることを決めた時点で、その穴を埋める装置の名前まで決まっている点にある。
これは国家規模の話だが、縮めれば今日から試せる。
- 自作している基準を一つ探す。自前の価格表、自前の管理台帳、自前のルール。同じ役割を果たす、すでに信用のある外部基準があるなら、乗り換えを検討する。自由度を手放す代わりに、他人が積み上げた信用がついてくる。
- 「やらないこと」を一つ決めて、その横に支える仕組みを書く。書けないうちは、まだやめられない。これは判断の精度を測る、かなり厳しいテストになる。
- 依存先の比率を数える。売上でも、時間でも、情報源でもいい。75%を一本に置いているものがあるなら、そこは強みと弱みがまったく同じ場所にある。理解した上でそこにいるのと、気づかずにそこにいるのとでは、打てる手がまるで違う。
1967年のブルネイは、通貨について「自分で決めない」を選んだ。その判断の配当を、59年後のいまも平均1.1%という形で受け取り続けている。よく設計された判断は、一度で終わらずに効き続ける。
参考・出典
- Brunei Darussalam Central Bank: Monetary Policy Framework
- Brunei-Singapore Currency Interchangeability Agreement (Wikipedia)
- PLOS ONE: Extreme Differences in Forest Degradation in Borneo
- World Bank: Forest area (% of land area), Brunei Darussalam
- Xinhua: Brunei projects 1.82 bln USD in revenue from oil, gas in new fiscal year
- WWF: About the Heart of Borneo