世界でたった一か所しか採れない鉱物を持っている国がある。タンザニアだ。タンザナイトという青紫の宝石は、キリマンジャロの麓にあるメレラニ(ミレラニ)の丘陵でしか産出しない。米国宝石学会(GIA)の記述によれば、その産地は20平方マイル、およそ52平方キロメートルの範囲に収まる。東京の山手線の内側より少し狭いくらいの土地が、地球上の全供給を担っている。
ここまでは「珍しい石の話」だ。面白いのはその先にある。2024年、この世界独占品目の輸出額は1,940万ドルだった。同じ年、タンザニアの鉱物輸出は合計41億ドルに達している。つまりタンザナイトは、国の鉱物輸出の0.5%にも届いていない。世界で一か所しか採れない石が、である。
この落差には理由があり、そしてタンザニアはこの20年、その理由に正面から手を打ち続けてきた。打ち手のひとつは見事に効き、ひとつは思ったほど効かなかった。その効き方の違いが、そのまま「希少なものを持っている人が、どうやって利益を自分の側に残すか」という実務的な教訓になっている。
名前をつけたのは、産地ではなく売り手だった
GIAの記録では、1967年にマサイの人物がメレラニで透明な青紫の結晶群を見つけ、山師のマヌエル・ドゥソウザに知らせた。ドゥソウザは4つの鉱区を登録する。鉱物としての正体はゾイサイトの一種で、当時の呼び名は「ブルー・ゾイサイト」だった。
翌1968年、ティファニー社が主要販売者となり、この石に産出国の名を取った「タンザナイト」という名前をつけて、大々的なキャンペーンとともに市場に送り出す。英語圏では、ゾイサイト(zoisite)の響きが自殺(suicide)に似ていて商品名に向かなかった、という逸話がよく語られる。
ここで起きたことを冷静に見ると、こうなる。石はタンザニアから出た。名前はニューヨークの宝石店がつけた。そして名前をつけた側が、その石が何であるか、どれくらいの価値のものとして扱われるかを決める立場に立った。カテゴリーの名前を持っている側が、そのカテゴリーの意味を定義する。これは宝石に限らない。産地呼称でも、技術用語でも、サービスの呼び方でも同じことが起きる。
皮肉に聞こえるかもしれないが、そうではない。名前が「タンザナイト」になったからこそ、この石は国名を背負ったブランドになった。命名権を取られたのは事実だが、その名前は結果として産地に返ってくる資産にもなった。名前は、誰がつけるかと同じくらい、何を指すかが効く。
24キロの壁――漏れているものは、境界を引くと見える
2017年7月、当時のジョン・マグフリ大統領が軍に対し、メレラニの鉱山地帯を囲む全長24キロの壁を建設するよう指示した。壁は2018年4月に完成し、大統領自身が開所式に立った。建設は国家奉仕隊が短期間で行い、建設費は報道によって220万ドルから290万ドルと幅がある。出入口は限られ、国防軍が管理する構造になった。
なぜ壁だったのか。開所式でマグフリ大統領は「この壁ができる前は、生産量のおよそ40%が失われていた」と述べている。採れた石が、正式な取引を通らずに外へ出ていた、という認識だ。
結果は数字に出た。報じられた公式生産量は、壁の建設前である2017/18年度の464.45キログラムから、翌2018/19年度には1,964.75キログラムへ。2019/20年度は4,628.12キログラム、2020/21年度は8,962.24キログラムと伸びている。
ここが大事なところで、この増加の多くは「たくさん掘れるようになった」ではない。「もともと出ていたものが、記録に乗るようになった」に近い。壁がやったのは増産ではなく可視化だ。
この視点はそのまま自分の仕事に使える。数字が伸びない時、原因は生産側ではなく計上側にあることがある。作った分がどこかで記録から漏れていないか。売れているのに売上として拾えていない経路はないか。境界を一本引いて「ここを通ったものだけを数える」と決めるだけで、実態が見えることがある。
1グラムの線引き――ルールは原料を止められるが、技能は動かせない
もうひとつの打ち手は法律だった。2010年の宝石・鉱物に関する法律で、タンザニアは1グラムを超えるタンザナイトの原石を、未加工のまま輸出することを禁じた。狙いははっきりしている。カットと研磨を国内でやらせ、その付加価値を国内に残すことだ。原石のまま出してしまえば、宝石として売れる値段のかなりの部分は、研磨した国の取り分になる。
ところがこの規制は、業界紙の取材によれば実際にはあまり守られず、多くの原石がインドへ直行し続けた。理由は単純で、インドには何十年もかけて蓄積されたカットの技術と職人がいる。タンザニア側には、同じ品質で同じ量をさばける研磨産業がまだ育っていなかった。2019年の鉱業(鉱物付加価値)ガイドラインでは、未加工輸出が認められる上限は1グラムから2グラムへと緩和されている。
ここから引き出せる教訓は、壁の話よりも苦い。原料の輸出は法律で止められる。だが技能の所在は法律では動かない。付加価値は「やっていい権利」を持っている場所ではなく、「実際にできる能力」がある場所に落ちる。上流を押さえているだけでは、下流の取り分は自動的には移ってこない。
裏を返せば、能力を先に作れば取り分は後からついてくる、ということでもある。壁は数か月で建った。研磨産業はそうはいかない。効果が出るまでの時間が違うものを、同じ計画表に並べてはいけない。
「自分だけが持っているもの」を点検する三つの問い
タンザナイトの話は、規模こそ国家レベルだが、構造は個人の仕事とまったく同じだ。自分にしか出せないもの、自分の場所にしかないものを持っている人は、次の三つを順に点検すると使える。
- 名前は誰のものか。 自分がやっていることに、自分の言葉で名前がついているか。それとも他人のプラットフォームの分類名で呼ばれているか。名前を持つ側が意味を決める。
- どこで漏れているか。 出したものが記録に乗らずに流れている経路はないか。壁を建てる必要はないが、「ここを通ったものだけを数える」という一本の線を決めるだけで、実態の数字は変わる。
- 最後の一手間を自分でできるか。 一番おいしい工程が、自分の手の届かない場所にないか。届かないなら、禁じるのではなく、できるようにするのにどれくらいかかるかを見積もる。
小さく試すなら、三番目から手をつけるのがいい。自分が今、誰かに渡している「最後の一手間」をひとつだけ選び、次の一回だけ自分でやってみる。うまくいかなくても、その工程が本当はどれくらい難しいのかが分かる。それが分かれば、取りに行くべきか、任せたままでいいかを、感覚ではなく実測で決められる。
丘ひとつで世界の供給を握る国でも、価値は勝手には残らない。壁を建て、法律を書き、それでも足りない部分を今も詰めている。希少性は出発点であって、結論ではない。そう考えると、自分の手元にある「唯一のもの」も、まだ打てる手が残っているはずだ。
参考・出典
- GIA - Tanzanite History and Lore
- TanzaniaInvest - Tanzania Mining Sector
- Mining Technology - Tanzanite: how Tanzania can profit from mining its rare stone
- GJEPC - Tanzania Liberalises Exports of Rough Coloured Gemstones, Including Tanzanite
- This Is Africa - President Magufuli tightens security around tanzanite mine with a 24km wall