ラテン文字とキリル文字で、形が同じ文字は7つしかない
ボスニア・ヘルツェゴビナの車のナンバープレートには、A・E・J・K・M・O・Tの7文字しか使われない。この7文字は、ラテン文字とキリル文字のどちらで読んでも形がまったく同じ文字だ。だから、どの民族の運転手が対向車のプレートを見ても「自分の文字で書かれている」ようにしか見えない。読み間違えようがない代わりに、誰の文字なのかを言い当てることもできない。
これは偶然ではなく、設計だ。しかもこの国は、同じ考え方を国旗にも紙幣にも、中央銀行の人事にまで一貫して適用している。「対立そのものは消せない。なら、対立の材料になっているモノの側から消す」——ボスニアが1998年に集中的にやったのは、この一点だった。効いた部分と効かなかった部分がはっきり分かれていて、その線引きがそのまま僕らの持ち帰りになる。
プレートから「どこの人か」を消した
現在の形式は1998年2月2日に始まった。5つの数字と2つの文字を X00-X-000 の順に並べる。使える文字は上の7文字だけ。そしてもう一つ重要なのは、登録地を示す記号が一切ないことだ。市も、自治体も、県(カントン)も、構成体も、プレートからは読み取れない。紋章の類も載っていない。1998年より前は、地名コードが入っていた。
なぜ消したのか。上級代表事務所の報告は、片方の構成体のプレートを付けた車が、もう片方の地域で破壊の対象になる状況を挙げている。地名コードは、走っている車の持ち主が「どちら側の人間か」を時速100キロで伝えるラベルとして機能してしまっていた。そこでプレートを全国一律にし、地名を外し、両方の文字で同じに見える7文字だけに絞る。当時の上級代表カルロス・ヴェステンドルプの主導で導入された仕組みだ。
ここが面白いところで、この設計は人の気持ちを一切変えようとしていない。和解も、教育も、対話も要求しない。ただ、識別子として使われていた情報をモノから抜いただけだ。安く、速く、当日から効く。
国旗は「誰の歴史でもない色」で作られた
プレートのわずか2日後、1998年2月4日に国旗が定まった。こちらも同じ思想でできている。デイトン合意のあと、ユリの紋章が入った白い旗はセルビア系とクロアチア系から「ボシュニャク系のもの」と見なされ、共通の象徴として機能しなくなっていた。
上級代表事務所は委員会を立ち上げ、1998年1月に3つの新案を出す。3案すべてに共通の方針が置かれていた。背景は国連旗に近い明るい青。そして黄色を使う——理由は「全員にとって等しく受け入れやすく、生命の象徴である太陽に通じる」から。歴史的な紋章や民族的な図像は、どの案からも外された。
議会は最後まで一つに決められなかった。ヴェステンドルプが星と三角形の案を選び、それが国旗になった。デザインはムラデン・コロバリッチによるもので、青地に黄色の直角三角形、その斜辺に沿って白い星が並ぶ。
共通のシンボルを新しく作るとき、ふつうは「みんなの好きな要素を持ち寄る」方向に行きたくなる。ボスニアがやったのは逆で、誰かの持ち物である要素を全部引き算した。残ったのは、青と黄色と星という、歴史を主張しない図形だけだった。
お金だけは、統一せずに並べた
通貨は、同じ問題にまったく違う答えを出している。ここが個人的にいちばん唸ったところだ。
兌換マルク(KM)は1998年6月22日に導入された。ドイツマルクと1対1でペッグし、ドイツマルクがユーロに移行したあとも同じレートを引き継いで、現在も1ユーロ = 1.95583 KMで固定されている。「兌換(convertible)」という通貨名そのものが、外貨と必ず交換できるという約束の看板になっている。運用はカレンシーボード制で、中央銀行は法律の定める規則に厳密に従って発行と回収を行う。
面白いのは紙幣のデザインだ。中央銀行は、同じ額面の紙幣を2バージョン発行している。連邦版とスルプスカ共和国版で、表の肖像も、裏の図柄も、そしてラテン文字とキリル文字の並び順も違う。ただし両バージョンとも、両方の文字が必ず併記されている。20KM札は、連邦版が作家アントゥン・ブランコ・シミッチ、スルプスカ共和国版が語り部フィリップ・ヴィシュニッチ。50KM札は詩人ムサ・チャジム・チャティッチとヨヴァン・ドゥチッチ。1998年7月27日に市民へお披露目された。
プレートと国旗は「統一して中立化」だったのに、紙幣は「並存させて等価に」を選んだ。額面という一番大事な情報は完全に共通で、誰の顔を刷るかという交渉が長引く部分だけ二本立てにして、先に進めている。
そして例外が一枚だけある。最高額面の200KM札には、バージョンが存在しない。全国で一種類だけだ。表はノーベル文学賞作家イヴォ・アンドリッチ、裏はドリナ川に架かるメフメト・パシャ・ソコロヴィッチ橋。どのグループからも自分たちのものと言える人物と建造物を、たった一枚だけ共通にした。全部を統一しようとせず、確実に共通にできる一点に絞る。この割り切りは相当に賢い。
中央銀行の総裁は、外国人しか就けなかった
もう一つ、この時期の設計を象徴する決定がある。デイトン合意の枠組みで1997年8月11日に中央銀行が設立されたとき、法律は初代総裁がボスニア・ヘルツェゴビナ国民でも近隣国の国民でもいけないと定めていた。
結果として就任したのは、ニュージーランドの経済学者ピーター・ニコル。IMFから打診を受け、1997年6月20日から2004年12月31日まで務めた。在任中に自国通貨を導入し、中央銀行を全土をカバーする機関として立ち上げている。
これも同じパターンだ。「誰が総裁でも中立に振る舞ってくれる」ことを期待するのではなく、国籍という属性を要件の側から外した。信頼を要求する代わりに、信頼を要らなくする設計と言ってもいい。
この設計が届かなかった場所
ここまでは、引き算の設計が効いた話だ。ただし同じ発想には、はっきりした限界がある。それを示す判例がある。
2009年12月22日、欧州人権裁判所の大法廷がセイディッチ・フィンツィ事件で判決を出した。原告は、ロマのデルヴォ・セイディッチと、ユダヤ人のヤコブ・フィンツィ。二人は大統領評議会と、上院にあたる民族院に立候補できなかった。理由は、この国の憲法が候補者資格を3つの「構成民族」——ボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人——に限っているからだ。どれも名乗らない人は、そもそも土俵に上がれない。
裁判所は、民族院についても大統領評議会についても、これを差別と認定した。そしてこの判決は、判決から16年が経つ現在も実施されていない。2023年2月に6か月以内の履行を約束したが、動いていない。
つまりボスニアは、モノからは民族を消せたが、資格からは消せなかった。プレート、旗、紙幣といった「表示」は数か月で中立化できたのに、「誰が立候補できるか」という規則の中立化は、いまだに終わっていない。表示は外から一枚の決定で変えられるが、資格を変えることは権力の配分そのものを動かすことだからだ。
ここから持ち帰れるもの
この一連の設計は、国の話としてだけ読むにはもったいない。使える形にすると、だいたい4つになる。
- まず「表示」を疑う。揉めごとの火種が、中身ではなく表示にあることは相当に多い。ボスニアのプレートは、走行中の車から地名を抜いただけで、識別と報復の連鎖を一段階切っている。中身を変えるより桁違いに安い。手を付ける順番は、表示 → 手続き → 中身。
- 共通集合だけで設計する。ラテン文字とキリル文字の共通集合が7文字なら、その7文字だけで組み立てる。全員が合意できない場では、選択肢を広げるほど揉める。全員が同じに読める部分まで削り込むと、決定が一気に軽くなる。
- 全部を統一しない。200KM札方式。額面(=一番大事な情報)は共通、肖像(=交渉が長引く部分)は二本立て、そして誰もが誇れる一点だけ完全共通。統一の範囲を三段階に分ける発想は、チーム間のツール統一でも、複数拠点のブランド運用でも、そのまま使える。
- 信頼を要求せず、要件から属性を外す。「中立に振る舞ってくれるはず」に賭けるより、中立でしかありえない条件を先に作る。中央銀行総裁の国籍要件は極端な例だが、発想自体は小さい単位でも成立する。
今週、小さく試すならこれだ。自分の仕事の中で、「表示を消すだけで消える摩擦」を1つ探す。見積書から担当者の所属を外す。社内レビューを匿名で回す。応募フォームから、判断に使っていない属性欄を削る。候補が見つかったら、中身の議論はいったん脇に置いて、表示だけ抜いてみる。ボスニアのプレートと同じで、効くときは当日から効く。
そして、効かない場所も同時に見えてくる。表示を抜いても摩擦が残るなら、それは資格や権限の配分の問題であって、デザインでは届かない。その線を自分で引けるようになるだけでも、この国の1998年を眺めた価値は十分にある。
参考・出典
- Vehicle registration plates of Bosnia and Herzegovina — Wikipedia
- Flag of Bosnia and Herzegovina — Wikipedia
- Bosnia and Herzegovina convertible mark — Wikipedia
- 25 Years of the Convertible Mark — Central Bank of Bosnia and Herzegovina
- Peter Nicholl — Wikipedia
- Sejdić and Finci v. Bosnia and Herzegovina — Wikipedia