トルクメンの手織り絨毯は、西洋では長いあいだ「ブハラ絨毯」と呼ばれてきた。だがブハラはウズベキスタンの都市で、織り手の土地ではない。集荷され、売られた場所の名前が、作った人の名前を上書きしてしまったのだ。僕がトルクメニスタンを調べていて一番面白かったのはこれだ。名前は、作った側ではなく「流通させた側」が握る。そしてこれは、今の僕たちの仕事にそのまま起きている。
1. 「ブハラ絨毯」問題——流通の名前が作り手の名前を食う
トルクメン人は伝統的に遊牧民・騎馬民で、単一の民族としてまとまるより、氏族ごとに方言も衣装も違う集団として存在してきた。そして絨毯の緻密な文様は、その氏族の区別を示す指標として機能してきた。つまり絨毯は敷物であると同時に、誰が織ったかを語る識別システムだった。それなのに市場での呼び名は「ブハラ」になる。識別の情報が、流通の一段階で消えている。
持ち帰れる型はシンプルだ。自分の成果物が、市場で何と呼ばれているかを確認する。作った名前と、呼ばれている名前が違うなら、そこに価値の取りこぼしがある。
- 今日試せること:自分の商品名・記事タイトル・サービス名を検索し、他人がどう言い換えて紹介しているかを5件集める。
- 次の一手:呼び名を訂正するのではなく、呼ばれている言葉を入口に置き、その先で本来の名前を必ず見せる導線を作る。
- 応用:氏族が文様で名乗ったように、色・型・言い回しなど「一目で自分だと分かる要素」を1つだけ決めて固定する。
2. 1996年、国家計画経済に開いた一枚のドア
トルクメニスタンは独立後もソ連型の中央計画を多く残し、国家が経済活動を強く支配してきた国だ。その中で1996年、教育省が国営・民間の双方に「短期講座」の開設と運営を認めた。ライセンス制で、扱うのは語学、コンピュータ技能、数学、会計。Hemaýat、Diller dünýäsi、Zehinli Nesil など、名前の付いた語学センターが10以上動いている。
なぜここに需要が集まるのか。数字を見ると分かる。2019〜20年度、高校を卒業したのは約8万人。うち国内の高等教育機関に入学したのは12,242人、42校の職業カレッジに9,063人。残りの大半にとって、次の学びは「短期講座」しかない。制度のボトルネックが、そのまま民間の市場になっている。
型は「許可されている隙間」を探すこと。全面的に自由な市場より、規制が厳しい領域のなかで明示的に開かれた一点のほうが、競争が少なく需要が濃い。
- 今日試せること:自分の業界で「ここだけは民間可」「ここだけは届出で足りる」という条項を1つ書き出す。
- 見るべき数字:入口の人数と、通過できる人数の差。差が大きいところが仕事になる。
3. 二重の価格——「どのレートで?」と必ず聞く
トルクメニスタンは2009年以降、固定為替相場を維持している。当初は1ドル=2.85マナト、2015年1月1日から1ドル=3.50マナトだ。一方、2021年2月の非公式レートは1ドル=29〜30マナト前後で動き、同年4月半ばには40マナトまで下がったと記録されている。公式には1つの価格があり、実勢にはもう1つの価格がある。
もう一つ面白いのは決済側だ。中央銀行はキャッシュレスを推進し、2020年1〜4月のデビットカード決済額は前年同期の3倍強、19億マナト弱に達した。ところが同時に、ATMの現金不足や、店側のカード決済設備の不足が報告されている。政策が先に走り、インフラが後から追う。
型は2つ。価格は必ず「どのレート・どの条件で」を添えて聞く。そして新しい仕組みを導入するときは、受け取る側の設備を同時に用意する。ここを外すと、数字は伸びているのに現場は詰まる。
4. 中立は選択肢を買う。ただし顧客集中は別問題
この国は独立以降、ほぼすべての国際問題で中立の立場をとってきた。ニヤゾフ大統領は上海協力機構のような地域機構への加盟を避け、独自路線を保った。The Times of Central Asia は「トルクメニスタンの中立:外交的な余地と経済的な限界」という見出しでこのテーマを扱っている。
資源は強い。天然ガス埋蔵量は世界第5位、推定50兆立方メートル。だが最大の輸出先は中国で、かつてのロシアに取って代わった。経済は天然ガス・石油・綿花に大きく依存し、政府は輸出ルートの多様化と国内石油化学の育成を進めている。
ここから取れる視点は明確だ。立場の独立と、売上の分散は別のスキルである。どこにも属さないことで自由を得ても、買い手が1つなら価格は相手が決める。フリーランスでも会社でも同じ構造だ。今週やるなら、売上の内訳を書き出して、上位1社が何%かを数えるだけでいい。
通過点に建てる、という発想
この国の歴史の中心にあるのはメルヴだ。中央アジア最古のオアシス都市のひとつで、かつては世界最大級の都市であり、イスラーム世界の大都市、そしてシルクロードの重要な中継地だった。もとは紀元前330年、アレクサンドロスがムルガブ川近くに築いた都市に遡る。目的地ではなく通過点にあることが、この街を大きくした。
国土の大半はカラクム砂漠で、人口は700万人超。中央アジアの共和国では最も少なく、アジアで最も人口密度の低い国の一つだ。それでも帝国と文化はここを通り続けた。人が少ない場所でも、通り道になれば富は集まる。
今日の持ち帰りを3つに絞る。①自分の仕事が市場で何と呼ばれているか調べる。②規制の中で明示的に開いている一点を探す。③売上の上位1社の比率を数える。どれも今日30分で始められて、確実に手が動く。