バーレーンで一番面白い事実から始めよう。青銅器時代、この島にあったディルムン文明の商人たちは、自分専用の分銅をつくらなかった。彼らが使った重さと長さの単位は、隣の南メソポタミアのものではなく、はるか東のインダス文明のものと同一だった。目の前の大国の規格ではなく、遠い取引相手の規格を採用した。中継地として生きるための、驚くほど冷徹で正しい判断だ。

ディルムンの選択:規格は「自分でつくらない」

ディルムンはメソポタミアとインダス峡谷を結ぶ交易のハブだった。シュメールの粘土板には紀元前4千年紀末からその名が登場し、バーレーン国立博物館は黄金期を紀元前2200〜1600年ごろと位置づけている。イシン・ラルサ期には、メルッハ(インダス地域と考えられる)との交易をディルムンが一手に握るまでになった。木材、象牙、ラピスラズリ、金、瑪瑙のビーズ、そして湾の真珠が銀・錫・毛織物・オリーブ油・穀物と交換された。

ここで効いたのが「規格を借りる」判断だ。自分の単位系を押し通せば、取引ごとに換算と不信が発生する。相手の単位で測れば、荷物はそのまま流れる。インダス式の円形スタンプ印章がグジャラートのロータル、クウェートのファイラカ、そしてメソポタミアの各地で見つかっているのは、この「共通言語」が実際に機能していた証拠だ。

持ち帰れる型はシンプルだ。自分が小さいときは、自分の基準を発明せず、最も取引したい相手の基準に合わせる。僕は仕事のフォーマットを決めるとき、まず「相手がすでに使っている型は何か」を確認する。請求書の書式、ファイル命名、単位、通貨、締め日。自分流を捨てた分だけ、相手からの摩擦がゼロになる。中心になるのは、規格をつくった者ではなく、規格に乗った者だ。

国名が示す「二つの海」:塩の中に真水がある

バーレーンという国名は、アラビア語の bahr(海)の双数形で、もともと「二つの海」を意味する。どの二つの海かは今も議論があるが、有力な説のひとつが「地上の塩水と地下の淡水」だ。実際、島の北の海域では、塩水の真ん中から真水が湧き上がる場所があり、古代から訪問者がそれを記録してきた。

この「塩水に囲まれた真水」という構造が、島の価値を決めてきた。アレクサンドロス配下の提督ネアルコスが上陸したときのバーレーン(ギリシャ人はティロスと呼んだ)は緑豊かで、綿の木の大農園があり、sindones と呼ばれる布が高級品から廉価品まで作られ、インドだけでなくアラビアにも輸出されていた。バビロンで儀礼用に持たれた紋章入りの杖の産地でもあった。そして真珠。バーレーンの真珠漁は古代から名高く、19世紀に入るまで世界最良とみなされていた。12世紀の旅行家トゥデラのベニヤミンも、湾岸の真珠漁に従事するユダヤ人コミュニティを記録している。

面積760平方キロ、アジアでモルディブとシンガポールに次いで3番目に小さい国。天然の島33、人工島50。この規模で世界史に何度も名前が出るのは、「周囲にないもの」を一つ持っていたからだ。持ち帰り方はこうだ。自分の環境で「周囲は塩水なのに、自分の足元だけ真水」な要素は何か。それを紙に一行で書けるまで削る。汎用スキルではなく、局所的な希少性が拠点をつくる。

1932年に二度、先手を打った国

1932年、バーレーンはイラン以外のペルシャ湾岸で初めて石油を発見した。ここで面白いのは、最初に掘った国が、最初に「石油の次」を考え始めたという点だ。バーレーンは湾岸で最初のポスト石油経済のひとつとして知られ、数十年にわたって銀行業と観光に投資してきた。マナーマには世界の大手金融機関が集まり、イスラム金融の中心地となり、2008年の国際金融センター指数でも高い評価を得た。世界銀行は高所得国に分類している。2005年には湾岸国として初めて米国と自由貿易協定を結んだ。

ただし、依存は消えていない。石油は輸出収入の60%、政府収入の70%を占める一方、GDPでは11%。2024年時点で石油・天然ガスの採掘は経済で3番目に大きいセクターだ。CIAの資料では歳入の85%が石油関連とされ、2017年には対GDP約10%の財政赤字も出ている。「多角化した」と「依存が残る」が同時に真であることこそ、この国のリアルだ。

そしてもう一つの1932年。この年、バーレーン政府は既存の2つの男子小学校の運営を引き受け、アラビア半島で最も古い公教育制度を成立させた。起点はさらに前だ。1919年、ムハッラク島に半島初の公立学校アル・ヒダーヤ・アル・ハリーフィーヤ男子校が開校する。発案者は第一次大戦後の祝賀行事でイングランドから戻ったシャイフ・アブドゥッラー・ビン・イーサ・アール・ハリーファで、運営したのは有力商人たちが作った教育委員会だった。1926年にマナーマに2校目、1928年には最初の女子校。委員会が資金難に陥ったため1930年に政府が引き継いだ。2010年国勢調査での識字率は94.6%。

型としてはこうだ。資源が出た瞬間に、資源以外への投資を始める。そして最初の一歩は政府ではなく民間の有志が踏み出してよい。民間で始め、続かなくなったら公が引き取る。この順番は、個人の実験にもそのまま使える。まず自分の手で小さく始め、機能が証明されたら組織や制度に渡す。

多様性が「設備」になっている

2024年の人口は158万8670人。うちバーレーン国籍が73万9736人(46.6%)、外国出身者が84万8934人(53.4%)。国民の側だけでも少なくとも8〜9の民族グループがある。島の先住民の子孫とされるバハルナ、ペルシャ系シーア派のアジャム、中央アラビア出身の都市アラブ、スンナ派イラン系のフワラ、東アフリカ由来のアフロ・アラブ、バルーチ、そして石油前時代の裕福なインド商人(バニア)の子孫。国教はイスラムだが、カトリックと正教の教会、ヒンドゥー寺院が島内にあり、GCCのアラブ諸国で最大のキリスト教徒少数派を擁する。アラビア語が公用語で、英語がリンガフランカとして広く使われ、ヒンディー語やウルドゥー語の実用知識を持つ人も多い。

教育も同じ構造で層になっている。1899年にアメリカ改革派教会がマナーマに開いたミッション校(現在のアル・ラジャ校)、1910年にペルシャ系コミュニティが資金を出したアル・イッティハード校。今日ではセント・クリストファーズ校が、英ガーディアン紙の「世界のベスト・インターナショナルスクール8校」に中東から唯一選ばれている。1927年には最初のバーレーン人グループがベイルート・アメリカン大学に進学し、1968年の湾岸技術カレッジが1984年にバーレーン大学へ、2008年にはバーレーン工科大学がイーサ・タウンに開校した。

文化の側でも僕が気に入っているのがガルギーアーンだ。シャアバーン月15日の夜とラマダーン月15日の夜、年に二度、子どもたちが伝統衣装で近所を訪ね、歌を歌ってナッツや菓子をもらう。数百年続く湾岸の習慣で、ハロウィンとは無関係だ。「他の文化に似た形式が、まったく別の起源で成立している」という事実そのものが、この島の性格を表している。

今日から試せる3つ

  • 規格を借りる棚卸し: 自分の仕事で「自分流」になっている書式・単位・手順を3つ書き出し、うち1つを取引相手の標準に合わせて捨てる。ディルミンの分銅と同じ判断だ。
  • 「二つの海」の一行: 周囲が塩水で自分だけ真水、という要素を一行で書く。書けないなら、まだ拠点ではなく通過点。
  • 層をつくる: 自分の周りの言語・出身・専門の層を数えてみる。バーレーンの強さは人口の多さではなく、53.4%という混成比率にある。多様性は飾りではなく設備だ。

面積760平方キロ、天然33+人工50の島。この小ささで4000年間ハブでいられたのは、偶然ではなく方法だ。方法は真似できる。

参考・出典