ウクライナでは、スマホの中に入っているパスポートが、紙のパスポートとまったく同じ法的効力を持つ。「デジタル版もありますよ」という話ではない。2021年8月23日から、法律でそう決まっている。ウクライナ政府は、これを世界で初めて実現した国だと公表している。

ここが面白いのは、技術の話ではないところだ。行政アプリを作った国はいくらでもある。ウクライナがやったのは、アプリが出すものに、紙と同じ「格」を法律で与えたことだ。この一手が全部の起点になっていて、そこから先の展開が、行政の枠を超えて使える設計思想になっている。順に見ていく。

1. 「デジタル版」で止めず、「本物」にした

ウクライナの行政アプリは「Diia(ディーヤ)」という。ウクライナ語で「行動」を意味する。

2021年3月30日、最高会議(ヴェルホーヴナ・ラーダ)は法案4355号を賛成302票で可決した。内容は、Diiaの中の生体認証パスポートとIDカードを、紙・プラスチックの現物と完全な法的同等物として扱う、というもの。同年8月23日から効力を持ち、行政機関、裁判所、郵便物の受け取り、年齢確認、銀行手続き、国内線や鉄道の搭乗まで、身分証が要る場面で通用するようになった。

例外もきちんと切ってある。国境の越境と、一時的被占領地域への出入りには使えない。そこは現物が要る。「全部いけます」と言わずに、通らない場所を最初から名指ししているのが実務的で気持ちがいい。

制度として本物になると、使う人が増える。ウクライナ政府のデジタル国家ポータルは2025年10月、Diiaの利用者が2,300万人を超え、アプリで扱えるデジタル文書は33種類、デジタル行政サービスは70以上になったと発表している。

持ち帰れる視点:新しい手段を出すときは、「便利な代替」ではなく「同等」まで設計しきると普及の速度が変わる。そして、同等にできない場面は隠さず先に名指しする。この2つはセットで効く。

2. 窓口ではなく「人生の出来事」で束ねる

Diiaの発想でいちばん真似したいのは、サービスの束ね方だ。

「eMalyatko(エ・マリャトコ=赤ちゃん)」という仕組みがある。子どもが生まれたときの手続きを、1回の申請でまとめて済ませるものだ。2020年3月10日、ドニプロが11番目のパイロット都市として稼働した時点で、1回の申請にひもづいていたのは次の7つだった。

  • 出生の国家登録
  • 子と親の身元の確定
  • 出産に伴う給付の決定
  • 多子世帯への育児給付の決定
  • 納税者登録(個人番号の付与)
  • ウクライナ国籍の帰属確認
  • 統一国家人口登録簿への記録と固有番号の付与

並べると分かる。これらは本来、担当する役所も、根拠になる法律もバラバラな7つだ。よくある行政のデジタル化は、この7つをそれぞれオンライン化して終わる。ウクライナがやったのは、役所側の切れ目を無視して、市民側の出来事(子どもが生まれた)で1本に束ね直したことだ。

組織図に沿って機能を並べるのではなく、利用者に起きた出来事に沿って並べ直す。言われれば当たり前だが、これは組織の都合を一度捨てないとできない。

持ち帰れる視点:自分の商品やサービスの導線を、担当・カテゴリ・機能ではなく「顧客の身に起きた出来事」で並べ直してみる。引っ越した、開業した、独立した、親が入院した。出来事の単位で束ね直すと、たいてい手続きの数そのものが減る。

3. 仕組みごと、外に出す

ここからがウクライナらしい展開だ。彼らはDiiaを自国の便利アプリで終わらせず、輸出品として扱っている。

2023年1月18日、ダボスでの国際会議で、ウクライナのデジタル転換省とエストニア政府が「mRiik」という共同プロジェクトを発表した。Diiaをベースにしたエストニアの行政アプリで、ウクライナ側はコードとUX/UI設計の考え方を共有している。エストニアといえば電子国家の代名詞のような国だが、そこがウクライナ発の設計を土台に採用したわけだ。

さらにDiiaは、ソースコードそのものが公開されている。GitHubの「diia-open-source」に各コンポーネントが置かれ、ライセンスはEUPL-1.2。専用ポータル(opensource.diia.gov.ua)も用意されている。国家の基幹アプリの中身を、誰でも読める場所に置いた。

戦時下の国が、行政の中核システムを公開する。余裕があるからではなく、公開したほうが速く広がり、味方が増えるという判断だと読むほうが自然だと思う。

持ち帰れる視点:うまくいった仕組みは、成果物だけでなく「複製できる形」で外に出すと価値が跳ねる。自分の場合ならテンプレート、チェックリスト、設定ファイル、手順書。抱え込むより、複製されたほうが結果的に自分の位置が上がる場面は多い。

4. 同じ発想を、税制にも適用した

「1つの入口に束ねる」という考え方を、ウクライナは産業政策にも持ち込んだ。それが2022年2月に始まった「Diia.City」だ。

これは地理的な特区ではない。IT・イノベーション企業向けの、法律と税制のパッケージである。企業はオフィスを動かさずに、この枠組みの住人(レジデント)になることを選べる。

  • ギグ契約のIT専門人材にかかる個人所得税は5%
  • 通常18%の法人所得税に代えて、9%の資本引出税を選択できる
  • 要件は、従業員・ギグ人材が9人以上、平均月給が1,200ユーロ相当以上、純収入の90%以上が対象事業からの収入であること(設立24か月以内の新設企業は90%要件のみ)

結果はどうなったか。ウクライナ政府は2025年11月11日、Diia.Cityに参加した企業が3,000社を超え、13万人以上のIT専門人材が所属し、レジデントが国家予算に納めた税は累計で約550億フリヴニャに達したと発表している。戦争が続くなかでの数字だ。

ここでも構造は同じである。業種ごとの細かい優遇を積み上げるのではなく、要件を満たしたら丸ごと入れる箱を1つ作った。入口が1つだと、企業側の判断が速い。

持ち帰れる視点:相手に選んでほしいことがあるなら、条件を細かく刻むより「満たせば全部つく箱」を1つ作るほうが動く。料金プラン、会員制度、業務委託の契約形態。どれにも効く。

5. 今日から小さく試せる3つ

ウクライナがやってきたことを、そのまま真似することはできない。でも設計思想は、規模に関係なく効く。

  • 「同等」まで設計する:自分が出すデジタルの成果物を、現物と同じ扱いにするには何が足りないかを1つ書き出す。足りないものはたいてい技術ではなく、合意・保証・責任の所在だ。
  • 出来事の単位で束ねる:顧客に起きる出来事を3つ挙げ、それぞれで必要な自分側の手続きを全部並べる。1つにまとめられるものを探す。
  • 複製できる形で出す:直近でうまくいったやり方を1つ選び、他人がそのまま使える形(手順書かテンプレート)にして公開する。

ウクライナが示したのは、「行政は遅いもの」も「デジタル化は先進国から順に進む」も、前提ではなく選択の結果だということだ。順番は、あとから来た側がひっくり返せる。

参考・出典