ドイツ鉄道が「もう儲からない」と畳んだ夜行列車事業を、隣の小国が寝台車ごと丸ごと買い取って、十年で欧州最大の夜行列車会社になった。オーストリアの話だ。この国を調べていて一番面白かったのは、観光名所でも音楽でもなく、「他人が捨てたものを拾って、そのまま手放さない」という一貫した癖のほうだった。
1%の端数事業を、まるごと買った
2015年、ドイツ鉄道(DB)は夜行列車ネットワーク「シティ・ナイト・ライン」を2016年12月で全廃すると発表した。理由はシンプルで、夜行の利用者は長距離旅客のおよそ1%にすぎず、採算に乗らない、というものだった。大手が数字を見て降りた、という以上でも以下でもない判断だ。
普通ならここで欧州の夜行列車は終わっていた。ところが手を挙げた会社があった。オーストリア連邦鉄道(ÖBB)は、DBが手放す「コンフォートライン」寝台車42両を全部買い取り、クシェット車の多くも引き取り、路線もそのまま引き継いだ。そして2016年12月11日、自社ブランド「ナイトジェット(Nightjet)」として走らせ始めた。
結果はどうか。ÖBBは今や中欧最大の寝台列車事業者だ。ウィーンからローマ、アムステルダム、ハンブルク、チューリッヒ、ブリュッセルへ夜通し走る。2023年12月10日からはシーメンス製の新型車両を投入し、一人用のミニキャビンやシャワー付き個室まで用意した。DBが不良資産として処分した車両群が、別の会社の看板商品になっている。
同じ車両が、隣の国では商売になる理由
面白いのは、車両は同じだという点だ。変わったのは置き場所である。
ウィーンは欧州のほぼ真ん中にある。ハンブルクもローマもアムステルダムもワルシャワも、だいたい「一晩」の距離に入る。夜行列車は、寝ている間にちょうど着く距離でしか成立しない商品だから、ハブがどこにあるかで成立する市場の広さがまるごと変わる。ベルリンやフランクフルトを起点に円を描くと、その円は西と北に偏る。ウィーンを起点にすると、円の中に欧州の主要都市がきれいに収まる。
DBにとって夜行は「全体の1%の端数事業」だった。ÖBBにとっては「国の立地そのものを現金化する主力商品」だった。同じ資産、違う分母。
ここから持ち帰れる視点はひとつだ。誰かが撤退した事業を見たら、「なぜダメだったのか」より先に「自分の立地なら分母が変わるか」を計算する。撤退の理由の多くは、事業そのものが成立しないことではなく、その会社にとっての優先順位が低いことだ。捨て値で出てくる資産は、置き場所を変えると値段が変わる。
ウィーンは100年、市営住宅を一度も売らなかった
同じ癖は、住宅にも出ている。ウィーン市は約22万戸の市営住宅を持ち、さらに市の補助で建てられた約20万戸の協同組合住宅がある。今日、ウィーン市民のおよそ50%が、このどちらかに住んでいる。
特筆すべきは戸数より、市がこの住宅ストックを一度も民営化していないことだ。他の大都市が財政のために公営住宅を売却していった時期にも、ウィーンは売り払うことを検討すらしなかった。1918年以降のいわゆる「赤いウィーン」期に住宅税を財源として始まった仕組みが、財源の形を変えながら、100年後も同じ市の手元にある。
財源も面白い。ウィーンでは賃金に連動した「住宅建設促進負担金(Wohnbauförderungsbeitrag)」が徴収され、雇用主と被雇用者が半分ずつ負担する。この住宅補助を通じて、建設費のおよそ35%をカバーする金利1%・最長40年の融資が出る。市の説明によれば、この仕組みがなければ入居者の負担は今より3分の1ほど高くなる。
ここでの学びは制度設計の巧みさより、もっと単純なところにある。効いているのは「売らなかった」という一点だ。時間が味方するタイプの資産は、持ち続けた人にしか効かない。だから先に決めるべきは、どう増やすかではなく、何を売らないかのほうだ。
ただし、拾ったものはタダでは維持できない
この話を気持ちよく終わらせないために、続けるコストのほうも見ておきたい。
オーストリアには「クリマチケット(KlimaTicket)」という全国定額パスがある。2021年10月26日に年額1,095ユーロで始まり、ÖBB・WESTbahn・RegioJetの2等と、国内のすべての公共交通に乗り放題という思い切った商品だ。ところが2025年8月に1,300ユーロへ、2026年からは1,400ユーロへと値上げされている。18歳が無料でパスをもらえた制度も、2024年7月から2025年4月で終了した。
ウィーンの住宅負担金も、2026年1月1日から合計1%が1.5%に引き上げられる(労使それぞれ0.5%→0.75%)。夜行列車も無傷ではない。ウィーン発・ベルリン発のパリ行きナイトジェットは、フランス側が公的支援を打ち切り、共同運行していたSNCFが契約から抜けたことで、2025年12月14日をもって廃止された。相手国と組んで走らせていた路線は、相手が降りれば自分だけでは維持できない。
つまり「拾って持ち続ける」は、安く済むから続けられる戦略ではない。値上げを説明し続ける覚悟と、自分の側だけで維持できる形にしておく設計、その両方がそろって初めて成り立つ。ウィーンが住宅を売らずに済んでいるのは、負担金という自前の財源を持っているからだ。パリ行きの夜行が消えたのは、それが他人の予算に乗った商品だったからだ。
今日から小さく試せる3つ
- 撤退ニュースを、資産リストとして読む。大手が「非中核」と発表した事業や設備は、しばらくすると安く市場に出てくる。自分の立地なら分母が変わるかだけを見る。
- 「売らないもの」を先に1つ決める。ドメイン、顧客リスト、書き溜めた記事、なんでもいい。増やす計画より、手放さない宣言のほうが効く。
- 維持コストの値上げを、最初から計画に書いておく。続ける前提の仕組みは、いつか必ず値上げが要る。想定に入れていないと、値上げのタイミングで畳むことになる。
オーストリアが強いのは、新しいものを発明したからではない。他人が「1%だから」と手放したものを拾い、100年売らずに持ち続け、必要なら値上げしてでも走らせ続けているからだ。派手さはないが、これは真似できる。