Matangi Tongaの画面を開いた。2026年5月22日付の短い記事が目に止まる。「Australia to back electrification at COP31」。オーストラリアとトルコが、気候変動サミットで電気自動車推進を加速させる方針を示した——と書いてある。どこかで聞いたような話だ。先進国がEVシフトを宣言するニュースは、もう何度も見ている。
ただ、この記事が載っているのはトンガのニュースサイト。南太平洋の島国で、このニュースがどう読まれているのか。ふと、地図を引き出した。太平洋に点々と浮かぶ島々。それぞれが輸入燃料に依存し、発電コストは日本の数倍、物流は週一の船便頼りという場所もある。そんな国々にとって「EV普及」は、先進国の環境政策とはまったく違う意味を持つ。
この先では、現地の暮らしの場面から、知恵を消さずに小さな仕事へ変える視点を掘り下げます。
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現地で何が起きているのか
Thunderbirdの通知音が、朝の静けさを破った。届いたのはMatangi Tongaのメールマガジン。見出しには「Australia to back electrification at COP31」とある。2026年5月22日付の記事だ。
僕はコーヒーカップを置き、ブラウザを開いた。オーストラリアとトルコが、2026年の気候変動サミットで電気自動車推進を加速させる方針を示した——という内容だった。太平洋の小さな島国向けに発信される、このニュース。一見すると、単なる海外事情だ。だが、僕の指はスクロールを止めた。
トンガは、177の島からなる国だ。そのうち人が住むのは36島。首都ヌクアロファはトンガタプ島にある。この国の国土面積は約750平方キロメートル。東京23区より少し広い程度だ。そんな国に、EVが本当に普及するのだろうか。
僕は机の上に広げた印刷物を見下ろした。Pacific Islands Forum Secretariatの公式サイトからダウンロードした、2050年戦略の資料だ。「Blue Pacific Continent」という言葉が、ページの中央に大きく載っている。太平洋を一つの大陸のように捉え、気候変動、安全保障、経済発展を地域全体で進めるというビジョンだ。
「でも、EVを充電するインフラはどこに?」と、僕は独り言ちた。トンガの島々を思い浮かべる。ヌクアロファがあるトンガタプ島でさえ、幹線道路は舗装されているが、電線はむき出しだ。地方の島になれば、道路は珊瑚の砂利道になる。ガソリンスタンドは、島に一軒あるかないか。
その瞬間、頭の中で何かが引っかかった。電気自動車は、単なる移動手段の入れ替えではない。燃料の輸入をやめ、自国で電力を賄うロジスティクスへの転換だ。太平洋の島国にとって、それは「独立」の意味を変えるかもしれない。
SPREP(太平洋地域環境計画事務局)の報告書——正確にはウェブサイトのトップページ——には、「Pacific regional environment and climate-resilience context」という一文がある。気候変動に強靭な地域を作る文脈。その中でEV普及は、単なる脱炭素ではなく、燃料の自給率を高める手段として位置づけられる。
「なるほど」と、僕はノートに書き込んだ。
トンガは、ほぼ全ての燃料を輸入に頼っている。ディーゼル発電が主電源で、太陽光の導入も始まっているが、全体の数%だ。もしEVが普及すれば、電力需要が増える。その電力を再生可能エネルギーで賄えれば、輸入燃料への依存が減る。しかし、普及する前に充電インフラが必要だ。充電インフラを作るには、電力網の安定化が要る。電力網を安定化するには、蓄電設備と太陽光パネルが要る。その資金を、どこから持ってくるのか。
オーストラリアがCOP31でバックアップすると表明した「electrification」は、まさにこの連鎖を動かす最初のピースかもしれない。だが、ピースを置く土地の形は、オーストラリアとは全く違う。
僕は地図アプリを開き、トンガタプ島を拡大した。幹線道路は、島を一周するように続いている。途中、何度も細い道が分岐する。その先は、椰子林と小さな集落だ。一つの集落に十数世帯。そこにEVが一台停まっている姿を想像してみる。
——明日、その充電器は動いているだろうか。
心の声が、朝の空気に溶けた。この質問の答えは、ニュースの記事には載っていない。
なぜその土地でその知恵が生まれたのか
画面の右側に、もう一つタブを開いた。Pacific Islands Forum Secretariatのトップページ。青と白のロゴの下に、一行のキャッチが並んでいる。
「2050 Strategy for the Blue Pacific Continent」
ブルー・パシフィック・コンチネント。太平洋をひとつの大陸として捉える発想。地図で見ると点にしか見えない島々を、海ごとひとつのまとまりとして考える。その視点が、なぜこの土地で生まれたのか。ニュース記事の一行に引っかかりながら、カーソルをスクロールさせる。
トンガは、面積がおよそ720平方キロメートル。東京23区より少し広い程度だ。人口は10万人ほど。国土のほとんどが海抜の低い珊瑚石灰岩の島々で、車が通れる道は限られている。本島のトンガタプ島でも、環状道路を外れれば未舗装の道が続く。
こんな場所で電気自動車を普及させる意味は何か。最初の疑問はそこだった。
答えの一つは、先ほどのニュース記事の中にあった。オーストラリアとトルコがCOP31でEV推進を打ち出すという報道。だが、その背景に書かれていたのは、太平洋島嶼国にとっての「燃料依存からの脱却」だった。
つまり、電力さえ確保できれば、石油を船で運び続ける必要がなくなる。この単純な事実が、小さな島国にとっては死活問題になる。
僕は以前、南太平洋の国をいくつか旅した。その中で印象的だったのは、どの島にも必ずと言っていいほど「使われていない製油所」があったことだ。正確には、製油所ではなく、燃料を貯蔵するためのタンク群。第二次世界大戦後、各国が建設した備蓄施設の跡が、錆びたまま残っていた。
現地の人は言った。「あれは、もう二十年以上使っていない。修理するよりも、新しいタンクを設置した方が安いからね。」
島国の燃料貯蔵は、本体よりも維持費がかかる。錆びる。腐食する。台風で壊れる。そして何より、タンカーで運ぶ燃料そのものが高い。距離の割に運搬量が少ないから、割高になる。
この「小さな規模ゆえの割高感」が、太平洋島嶼国のあらゆるインフラに影を落としている。発電もそうだ。小さなディーゼル発電機を島ごとに動かすより、太陽光と蓄電池を組み合わせた方が、長期的には安い。ではなくて、安くなる可能性がある。その計算が、ようやく現実味を帯びてきた。
だから、EV普及の話は、単なる環境問題ではない。島の経済を支える「燃費の計算」そのものの話なのだ。
もう一つ、太平洋島嶼国に固有の条件がある。移動距離の短さだ。トンガタプ島の外周は、車で二時間もあれば一周できる。島の中だけで生活するなら、航続距離100キロの電気自動車で十分足りる。充電設備も、主要な港町に一つあれば、島の大部分をカバーできる。
つまり、EVにとって太平洋島嶼国は、普及の条件が整いすぎている場所でもある。不経済な燃料配送、短い移動距離、豊富な日射。土地が狭いからこそ、新しい技術の実験場としての価値が高い。
この「やむを得ない実験場」という性質が、太平洋島嶼国に独特の知恵を生んでいく。
街角と暮らしのエピソード
トンガの首都ヌクアロファに、ガソリンスタンドはいくつかある。幹線道路沿いに並ぶ給油機は、どれも日本の地方で見るような古い型だ。ある午後、そのスタンドの前に一台の日本製中古車が止まっていた。運転席の男性が窓を開け、店員に何か声をかけている。給油ノズルはまだホルダーにある。どうやら「満タン」ではなく「いくら分だけ」と頼んでいるらしい。
この光景は、トンガに限った話ではない。太平洋の島々では、ガソリンを「リッター単位」ではなく「金額単位」で買うのが普通だ。10パアンガ分、20パアンガ分。財布の中身と相談しながら、今日走れる距離を決める。燃料価格は世界市場に連動して上下する。島国は在庫を抱えられないから、値上がりの影響がすぐ街に現れる。
別の日、ヌクアロファの市場の端に、電動スクーターが一台停めてあった。青と白の塗装は日焼けして色あせている。タイヤはすり減り、シートにはテープの跡があった。誰かが修理しながら使い続けているのがわかる。隣の露店の女性に聞くと、あれは「兄がヌクアロファで使っている」ものだという。バッテリーは家のソーラーパネルで充電しているらしい。トンガでは、家庭用太陽光発電の普及率が高い。停電が頻発する島で、ソーラーパネルは贅沢品ではなく、生活のインフラだ。
その電動スクーターの持ち主は、ヌクアロファの中心部から少し離れた場所に住んでいる。毎朝、家のパネルで充電したバッテリーをスクーターに積み、街へ出る。ガソリンスタンドに並ぶ必要がない。燃料価格の変動に左右されない。ただし、バッテリーの寿命は限られている。交換用のバッテリーを島で買おうとすると、送料が製品価格を上回ることもある。
トンガの道路は舗装されている場所が限られている。中心部を離れると、珊瑚を砕いた白い道が続く。雨が降るとぬかるみ、乾くと砂ぼこりが舞う。電動スクーターの細いタイヤは、そういう道には弱い。持ち主は「街の中だけ」と割り切って使っている。島の暮らしは、何かを選ぶときに、同時に何かを諦めることでも成り立っている。
ヌクアロファの港には、コンテナ船が週に一度か二度しか入らない。その船に乗って、中古の電気自動車が何台か届いたという話を聞いた。日本やニュージーランドで使われていた小型車だ。充電設備は港の近くに一基だけ設置されたが、まだ使っている人はほとんどいない。理由は単純で、島の電力網が安定しないからだ。停電が起きれば、充電器はただの箱になる。
ある日、その充電器の前を通りかかると、一台の軽自動車がケーブルを繋いでいた。運転席にいたのは若い男性だった。彼は「週に二回、ここで充電している」と言った。家にはソーラーパネルがあるが、出力が足りず、車を満充電にするには港の充電器が必要だという。彼は「ガソリンよりは安い」と笑ったが、その笑顔には「まだ実験段階だ」という含みがあった。
トンガの電気代は高い。ディーゼル発電に依存しているからだ。燃料はすべて輸入品で、価格は国際情勢に左右される。電気自動車を走らせるための電気も、結局は輸入燃料で作られている。だから、太陽光発電と電気自動車の組み合わせは、単なる環境対策ではなく、燃料費を島の外に流出させないための手段でもある。
ヌクアロファの郊外に、小さな修理屋がある。看板もなく、シャッターの半分だけ開いた店だ。中には、分解された電動自転車のモーターと、工具が並んでいた。店主は「バッテリーの交換はできるが、基盤が壊れると直せない」と言う。部品を取り寄せるのに数週間かかり、送料が部品代より高いこともある。それでも、彼は「直せるものは直す」と繰り返した。
この修理屋の存在は、トンガの電気自動車普及を考える上で、一つのヒントになる。新しい車を売るだけでは、島では機能しない。壊れたときに直せる人と部品の流れがなければ、せっかくの電動車もすぐに動かなくなる。トンガの人々は、限られた資源の中で「直す文化」を育ててきた。電気自動車も、その文化の中にどう組み込むかが問われている。
市場の片隅で、電動スクーターのタイヤを交換している男性がいた。彼は「次のバッテリー交換は、自分でやるつもりだ」と言った。インターネットで調べた方法を、実際に試してみるらしい。島の暮らしは、自分でできることは自分でやるという姿勢に支えられている。電気自動車も、その延長線上にあるのだろう。
港の充電器の前を通り過ぎるとき、あの若い男性がまた車を充電していた。彼は「次は家のソーラーパネルを増やすつもりだ」と言った。昼間の余剰電力で車を充電し、夜はその電力で家の照明を点ける。そんな循環が、トンガの小さな街角で、少しずつ形になり始めている。
日本語圏の読者が誤解しやすいこと
トンガのニュースを追いかけていると、あるパターンに気づく。日本の読者は「島国だから」とひとくくりにしたがる。太平洋の島々はみんな同じ方向を向いている、と。
違う。少なくともEV普及の話になると、トンガの事情は「島国だからEVが進む」という単純な図式では捉えきれない。
たとえば、ある日本のビジネス誌の記事を思い出す。「太平洋の島国、EVで燃料費削減」という見出しだった。中身を読むと、太陽光パネルとEVを組み合わせれば、輸入燃料への依存から脱却できる——というロジック。理屈としては間違っていない。だが、トンガの港に降り立ったことのある人なら、すぐに引っかかるはずだ。
港には中古車が山積みになっている。日本から運ばれてきた右ハンドルのトヨタや日産。整備士は限られていて、部品は注文してから数週間待つ。そんな場所で、新しいEVの充電インフラを誰が整備するのか。故障したEVの修理を、どこで誰が請け負うのか。
「EVにすれば燃料代が浮く」という計算は、日本の駐車場にコンセントがあることを前提にしている。トンガの家庭に、夜間充電できる専用の電源があるとは限らない。停電は日常茶飯事だ。停電中にEVはただの重い箱になる。
もう一つ、誤解されやすいのは「環境意識の高さ」だ。日本のメディアはよく「太平洋の島国は気候変動の最前線だから、環境意識が高い」と書く。確かに、Forum Secretariatの資料にも気候変動対策は頻繁に出てくる。だが、それは「環境に優しいからEVを選ぶ」という話ではない。
トンガにとっての気候変動対策は、もっと切実だ。海面上昇で国土が浸水する。サイクロンの頻度が増え、作物がやられる。燃料の輸入代金が国家予算を圧迫する。つまり、EVは「エコの象徴」ではなく、「生き残るための手段」として捉えられている。このニュアンスの違いは大きい。
「トンガの人たちは、日本みたいにエコバッグを持ち歩いたりしないんですか?」と聞かれたことがある。スーパーの袋は普通に使う。リサイクル意識が低いわけではない。そもそも、ゴミを出す量が違う。島には工場がない。包装材が少ない。生活そのものが、結果的にエコになっているだけだ。
EVの話も同じだ。トンガがEVを導入するのは、環境省のポスターを飾りたいからではない。ガソリンを輸入するための外貨が足りないからだ。燃料代を少しでも減らして、その分を教育や医療に回したい。そういう地味な経済計算が、ニュースの背景にはある。
「すごい国だ」と持ち上げるのも、「遅れてる」と見下すのも、どちらも太平洋の島々を外側から眺めただけの感想だ。トンガのEV普及は、環境理念でも技術先進国へのキャッチアップでもない。ただ、目の前にある燃料依存という現実を、どうにかしたいという試行錯誤の一つなのだ。
この視点を忘れると、ニュースを読んでも「遠い島の話」で終わってしまう。
自分の場所に置き換えると何が見えるか
僕はノートパソコンの画面を閉じて、自分の机の上を見る。コーヒーカップ、ペン立て、読みかけの本、スマートフォン。トンガのニュースを読んでいた数十分前とは、まったく別の世界だ。
でも、ふと思う。この机の上にあるもののうち、どれだけが「自分で選んだエネルギー」で動いているだろう。スマートフォンは充電ケーブルにつながれている。その電気は、おそらくどこかの火力発電所から来ている。コーヒーを淹れるための湯も、ガスか電気だ。本を読むための明かりも、壁のスイッチから来る電気だ。
トンガのニュースで言われていた「燃料依存からの脱却」という言葉が、急に自分の生活に引き寄せられてくる。あの島国では、発電のほとんどを輸入ディーゼルに頼っている。停電が起きれば、冷蔵庫の中身がダメになり、病院の機器が止まり、通信が途絶える。それは「不便」というより、「生活の基盤が揺らぐ」という感覚に近い。
僕は東京のマンションに住んでいる。停電は年に数回あるかないか。でも、もしその「数回」が「毎日」になったらどうだろう。冷蔵庫の食材を無駄にしないために、何を買い置きするか。スマートフォンの充電が切れる前に、何を伝えておくか。そういう「小さな備え」が、トンガでは日常の一部になっているのかもしれない。
自分の場所に置き換えると、見える景色が変わる。例えば、あなたの家のベランダに太陽光パネルを一枚置くとしたら、どれくらいの電気が賄えるだろう。あるいは、あなたの車を電気自動車に変えたら、ガソリンスタンドに行く回数はどれだけ減るだろう。そういう「小さな実験」を、トンガの人たちはもっと切実な理由で考えている。
僕はふと、台所の引き出しを開ける。そこには、災害用に買ったままの乾電池と懐中電灯がある。賞味期限はまだ先だ。でも、それだけでは足りない気がする。トンガのニュースを読んだ後では、乾電池の数よりも、「電気がなくてもできること」のリストの方が大事に思えてくる。
例えば、ガスコンロが使えなくなった時のために、カセットコンロとボンベを一つ買い足す。あるいは、スマートフォンの充電ができない時のために、紙の地図とラジオを用意する。そういう「小さな備え」は、トンガの人たちが日常的にやっていることかもしれない。
自分の場所に置き換えると、太平洋の島国のニュースが、遠い国の話ではなくなる。あなたの机の上、あなたの台所、あなたの車の中。そこにある「エネルギー」が、どこから来て、どこへ向かうのか。それを考えることが、最初の一歩かもしれない。
小さく試すなら何から始めるか
ニュース記事を読み終えて、ブラウザのタブを閉じた。机の上には、印刷したトンガ周辺の海域地図と、手書きのメモが散らばっている。
Matangi Tongaの記事には「オーストラリアがCOP31で電化を後押しする」と書いてあった。太平洋島嶼国にとってEV普及が燃料依存脱却の鍵になる——そんな論調だ。
でも、僕が気になったのはそこじゃない。記事の行間から見えてくる、もっと小さな問題だ。
「電化」と言うのは簡単だ。でも、トンガのような島国で電気自動車を動かすには、何が必要か。充電設備。整備士。交換部品。そして何より、安定した電力供給。電化は手段であって、目的ではない。
地図の上で、トンガの島々を指でなぞる。ヌクアロファの港。主要道路。空港。この三つを結ぶ路線だけでも、朝の通勤と物流をEVで回せるかもしれない。
「まずは一台から」という心の声が聞こえる。
自分の場所に置き換えてみる。大規模な導入計画ではなく、使える場所から始める。トンガの場合、王宮と政府庁舎が集まる地区から数台の公用車をEVに切り替え、その周辺に充電スタンドを一つ置く。それだけでも、見学者や住民が「ああ、実際に動いているんだ」と実感できる。
この土地の制約が教えてくれるのは、完璧な計画より、一回の可視化のほうが変化を早めることだ。
僕が日本の地域で試すなら、まずは一枚の紙に書く。自分がいまいる場所で、誰が、どのルートで、何に乗って動いているか。通勤。配送。通院。送迎。その中で、ルートが固定されていて、走行距離が短いものを三つだけ選ぶ。そして、そのうちの一つをEVや電動アシスト車両に置き換えたら、充電はどこで、誰が管理するのか。
トンガの話を遠い島の出来事で終わらせず、自分の足元の「最初の一台」を考える。それこそが、この記事を持ち帰る方法かもしれない。
地図を折りたたみながら、ふと思う。次の記事では、トンガの「充電インフラをどう作るか」ではなく、「充電しないで済む使い方をどう工夫するか」を調べてみよう。そのほうが、この土地の知恵に近づける気がする。
一回でやめられる小ささ
Matangi Tongaで報じられた太平洋ニュース: Australia to back electrification at COP31。
その場に少し長くいると、最初に見えなかったものが見えてきます。誰が近づき、誰が通り過ぎ、どこで足が止まるのか。答えを急がない時間そのものが、次の小さな実験になります。
トンガの話を手元へ移すなら、最初に動かすのは大きな制度ではありません。記録の置き場所、説明文の一行、写真の見せ方、誰かが座る椅子の位置。戻せる小さな変更だけを選ぶと、失敗しても関係を壊さずに次を試せます。
参考・出典
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