ストックホルムの通勤フェリー航路に、水面すれすれを「浮いて」走る小さな電動船が就航している。Candela P-12。巡航25ノット、一回の充電でおよそ40海里(約74キロ)、定員30人前後。翼で船体を持ち上げて水の抵抗を約8割減らす、水中翼(ハイドロフォイル)の電動船だ。面白いのは、これが最新の発明ではないこと。水中翼船は二十世紀半ばからある古い技術で、一度は世界中の航路から姿を消した。その割に合わなかった技術が、バッテリーと制御ソフトの進化で、いま港に戻ってきている。
この記事では、なぜ古い技術がもう一度使えるようになったのかを、公式情報をたどって整理する。そして最後に、それを自分の街の地図に重ねて考えるための、具体的な型を渡したい。
何が面白い発見なのか
P-12の公式スペックはこうだ。巡航25ノット。一回の充電で40海里ほど、距離にしておよそ74キロ。定員は30人前後。動力はバッテリーだけ、100%再生可能電力でまかなう。船底から垂直に伸びた翼で船体を持ち上げ、水の抵抗をおよそ8割減らす。だから同じ速度でも消費エネルギーが小さい。
ここで効いてくるのが、公式が掲げる「従来のフェリーより一人あたりの運航コストが低い」という一行だ。速いのに安い。この組み合わせが、この船をただの新製品以上のものにしている。
水中翼船そのものは新しくない。二十世紀半ばには、ヨーロッパでも日本でも高速旅客船として使われていた。日本でいちばん分かりやすいのは、東海汽船が東京と伊豆諸島を結ぶ高速船「ジェット船」だ。ボーイングが開発し、いまは川崎重工が造る「ジェットフォイル」という水中翼型の船で、竹芝から伊豆大島までを一時間四十五分ほどで飛ぶ。夜行の大型客船なら六時間かかる距離だ。翼で船体を持ち上げて走るという発想は、とっくに実用の域にある。
ただし従来の高速水中翼船は、ガスタービンやディーゼルで動いていた。速いが、燃料をよく食い、音が大きく、維持費が重い。だから世界の多くの水中翼航路は、二十世紀の終わりにかけて縮小・廃止された。速いけれど、割に合わなかった。ここが出発点だ。割に合わなかった技術に、何が変わったのか。
なぜもう一度使えるようになったのか
Candelaの内部構造は、床下にバッテリーを敷き詰め、その上に電動モーターを載せる。ここは最近の電動フェリーと変わらない。違いは制御にある。
水中翼は、理論上は効率的でも、実際の海では安定させにくい。波が来ると翼の迎え角が変わり、船が沈んだり跳ねたりする。昔の船はこれを油圧と機械的リンケージで補正していた。波が高いと翼が水面を突き破り、船体が激しく上下する。乗り物酔いを招き、操縦にも熟練が要った。だから多くの乗客は「速いけれどうるさく揺れる船」より、遅くても静かな船や車を選んだ。
Candelaは、その制御を完全にデジタルにした。飛行機のフライ・バイ・ワイヤに近い発想だ。船体のセンサーが波と姿勢を読み、電動アクチュエーターが翼の角度を毎秒何十回も調整する。結果、水面から浮いたまま、ほとんど波を感じずに走れる。ここには筋の通った技術思想がある。スマートフォンにも入る安価な慣性センサー、密度の上がったバッテリー、廉価になった演算チップ。この三つが揃ったからこそ、昔は機械式でごまかすしかなかった制御を、ソフトウェアで回せるようになった。古いアイデアが、新しい部品でようやく割に合うようになったわけだ。
同じアプローチは一社にとどまらない。イギリスのArtemis TechnologiesのEF-24 Passengerも、100%電動・水中翼・低ウェイクという同じ設計を取る。公式は「high-speed operations close to shore(岸辺の近くで高速運転できる)」と説明している。この「岸の近くで高速」という一点が、実は大きい。
普通の高速船は大きな波を立てる。港内や狭い水路を高速で走ると、係留された小型船を揺らし、岸に波を打ちつける。だから多くの港では港内での徐行が義務づけられ、どんなに速い船でも港を出るまではノロノロ進むしかない。ところが水中翼で船体を持ち上げると、航跡波が極端に小さくなる。波をほとんど立てないなら、速度制限のかかる水域でも速度を落とさずに済む。「制約の中で速度を稼ぐ」——これがこの技術の再登板の核心だ。単なる性能競争ではなく、都市の騒音や波の規制をくぐる手段として翼が選ばれている。
なぜスウェーデンで、今なのか
この技術が最初にストックホルムで実運航に入ったのには、地理的な必然がある。市街そのものが14の島の上に築かれ、その外側に群島全体で約2万4千とも数えられる島々が東へ広がっている(市街14島と群島約2.4万島は規模が桁違いなので分けて扱う)。本土と島、島と島を結ぶフェリーは生活の足で、しかも航路の多くは短い。
この地形は、水中翼船の得意分野とよく噛み合う。従来のディーゼルフェリーは短距離だと加減速が多く、エンジンが効率の悪い領域で回る時間が長い。そこへ国際海運の温室効果ガス削減という圧力が重なる。国際海事機関(IMO)は、国際海運からの排出を今世紀半ばごろに実質ゼロへ近づける方向を示している。短い沿岸航路から、まず電動化の圧が来る。
電動バッテリーフェリー自体は北欧では珍しくない。ただ多くは低速でウェイクが大きく、航続にも制約がある。水中翼船は、その「低速」「ウェイク」「効率」をまとめて動かせる。翼で抵抗を減らせば、同じバッテリーでより速く、より遠くへ行ける。しかも出発港と到着港で充電すればよく、航路の途中に充電設備を置かずに済む。
後押しになった数字もある。ストックホルムの公共交通の船隊は、市内のバスや鉄道を合わせたよりも多くの化石燃料を使っている——この指摘が、電動化を急ぐ動機として語られてきた。規制や目標が厳しいからこそ、新しい技術が試される。試されるからコストが下がり、性能が上がる。こうしてストックホルムは電動水中翼船の実験場になった。
ただし、地理には制約もある。ストックホルムには冬があり、水路が凍る年もある。翼は氷に当たれば傷むし、船体は砕氷船ではない。実際、この街のパイロット運航も水面が凍る季節にいったん止め、春に再開している。温暖な土地なら考えずに済む制約が、ここでは前提として設計に組み込まれている。つまりこの街は、寒冷地運用の課題を最初から磨く場所にもなっている。
スペックを街の事情と重ねて読む
スペック表は、街の事情と重ねて初めて意味が出る。P-12の数字を一つずつ読み直すと、設計の狙いが見えてくる。
定員30人前後。フェリーとしては小さい。だが群島の航路は人口密度が低く、距離も短い。大きな船を一日に数便走らせるより、小さな船を頻繁に走らせたほうが待ち時間が減る局面がある。30という数字は、大都市の大量輸送ではなく、短距離のローカル路線に照準を合わせた選択と読める。
ウェイク(航跡波)。翼で船体を持ち上げて抵抗を約8割減らし、波もごく小さい。速度制限のかかる沿岸や港内でも速度を落とさずに走れる。前述のとおり、これは性能競争ではなく規制をくぐるための設計だ。
充電。P-12は市庁舎前で、ふつうの車向け急速充電器を使って充電するとされる。航路の端で継ぎ足せば、昼休みほどの時間で運航ダイヤに戻せる。翼で消費エネルギーを抑えているからこそ、控えめな充電設備でも一日を回せる。効率のよさが、インフラのハードルを下げている。
「未来の乗り物」という言い方。この船はまったくの新発明ではない。翼で飛ぶ旅客船は二十世紀からある。新しいのは翼そのものではなく、それを成立させるバッテリーと制御という部品だ。電気自動車も太陽光パネルも同じ道をたどった。だからこの話は「何が新しいか」より「なぜもう一度使えるようになったか」を軸に読むと、自分の場所に引き寄せやすい。
日本の読者が誤解しやすい三点
この話を見せると、たいてい「日本でもすぐ導入できるのでは」と返ってくる。半分は正しい。でも半分は、現場の条件を見ずにラベルだけで判断している。誤解はだいたい三つの形をとる。
ひとつめ。「未来の乗り物だから何もかも優れている」という錯覚。水中翼船は確かに速く静かだ。だがその未来が港に着くまでには、岸壁の補強、電気工事、航路の申請、冬のメンテナンス体制、乗客の慣れといった地味な調整が要る。実際、ストックホルムのパイロット運航でも、船そのものより岸に電源を引く段取りや行政手続きに時間がかかったと語られてきた。未来は、一本のケーブルや一枚の許可証として少しずつ組み上がる。
ふたつめ。「電動=単純にエコ」という思い込み。走行中の排気はゼロで静か、波も立てない。ここは間違いない。ただ、バッテリーの製造や廃棄まで含めた一生分のCO2で見ると話は複雑になり、効果は電力構成に左右される。ストックホルムのパイロットでは、同じ航路の従来フェリーと比べ乗客一人・一キロあたりのCO2を大幅に減らせたと報告されているが、これは電力の大半が再生可能なスウェーデンだからこその数字でもある。火力に頼る土地で同じ削減率が出るとはかぎらない。
みっつめ。「スウェーデンだからできた=日本では無理」という決めつけ。これはひとつめの裏返しだ。この船は既存の船を量的に置き換えるためというより、「陸路では不便だが水路なら近い」というニッチを埋める選択肢に見える。ストックホルムのパイロットも、観光便ではなく郊外の島と中心部を結ぶ通勤路線から始まった。だから問いは「日本では無理か」ではなく「日本のどの水路なら合うか」になる。
「未来だからすぐ入る」と「スウェーデンだから無理」は、同じ地図の裏表だ。どちらも現場の条件を見ていない。水中翼船が生きるのは、充電設備が置け、ウェイク規制が効き、短距離のフェリー需要があり、なおかつ陸路の代わりが乏しい港だ。そういう港はスウェーデンにしかないわけではない。
自分の街の地図に重ねる
数字を自分の街に置き換えると、輪郭が具体的になる。巡航25ノットは時速にしておよそ46キロ。渋滞のない46キロだ。一回の充電で走れるのは公称40海里、約74キロ。定員は30人ほど。
ストックホルムのパイロットは、この数字を実際にやってみせた。中心部の市庁舎前と、西へ15キロほどの郊外・エーケレー方面を結ぶ路線で、車やバスで50分前後かかっていた区間を、船でおよそ30分に縮めた。片道20分の短縮は往復で40分。月20日働けば十数時間、年にすれば百数十時間になる。しかもこの路線は特別料金ではなく通常の公共交通運賃で乗れるかたちで運行され、実験のあいだに乗客が目に見えて増えたと報告されている。
ここで冷静に前提の違いも押さえておく。スウェーデンは電力の再生可能比率が高く「電動=低炭素」と言いやすいが、日本はまだ火力への依存が大きい。冬の凍結という課題は日本の多くの港では小さくなる一方、公共交通の担い手も違う。スウェーデンでは行政や公営主体がトップダウンで新技術を試しやすいが、日本は民間が主体で、採算の証明・航路の許可・乗降場の整備といったハードルが積み重なる。
ただ、この違いは「できない理由」ではなく「どうやるか」の材料だ。いきなり大規模な通勤路線を狙わず、まず限られた区間で試せばいい。渋滞する陸路と並走する短い水路。橋を架けにくい浅瀬の対岸。既存の高速船を電動で置き換えられそうな短距離の離島連絡。日本には東海汽船のジェット船のように、水中翼型の高速船を長年走らせてきた実績がある。ゼロから始めるわけではない。
置き換えの見立ては数字に忠実にやりたい。東京から伊豆大島までは片道おおよそ120キロで、いまも水中翼型のジェット船が一時間四十五分ほどで結んでいる。P-12の公称航続はそこに届かないから、この長距離を電動水中翼船が肩代わりする絵は、いまの航続では描けない。電動の出番はまず短い水路にある。数字を都合よく伸ばさず、いまのバッテリーで届く範囲から線を引く。ここを守ると机上の空論に落ちない。
小さく試すなら、まず地図を開く
大がかりな話に聞こえるかもしれないが、最初の一歩に予算はいらない。地図を開くだけだ。ここからは、誰にも相談せず一円も使わずにできる、五つの手順を渡しておく。
1. 水辺と距離を測る。自分の街に港・川・湖があるか見る。あれば、そこから島・対岸・別の桟橋までの距離を測る。10キロ以内なら電動水中翼船の航路として現実的、数十キロなら公称航続の範囲に入るかを確かめる。地図の上に仮の航路を直線で引く。その線が候補だ。
2. 線の下の条件を潰す。水深は足りるか。岩礁や沈船はないか。漁業権はどうか。既存の航路と交差しないか。水中翼船は浅い水域でも走れるとされるが、乗降場の設計や他船との取り合いは別問題として残る。海図やネットの水深データで一つずつ確認する。
3. 自治体の交通計画を読む。公共交通のマスタープランはネット公開されていることが多い。水上交通の項目があるか、どんな航路が想定されているかを見る。多くの計画は電動化や自動運転に触れても水中翼船まで踏み込んでいない。逆に言えば、そこは空白で、考える余地がある。
4. 港の歴史をたどる。かつて高速船や水中翼船が走っていた港なら、当時の航路や時刻表が残っているかもしれない。図書館の古い時刻表には昔の航路図が載っていることがある。今の地図に重ねると、どこが変わりどこが変わっていないかが見え、その差が次の手がかりになる。
5. 要素に分解して考える。スウェーデンの港で起きたことは、分解すれば「静かな翼」と「賢い制御」と「試すと決めた誰かの判断」だ。前の二つは技術として世界に開かれている。最後のひとつは、地図を開いた人から始まる。地図を開き、線を引き、条件を調べ、計画を読み、歴史をたどる。それだけで「日本では無理」が「うちの港のこの区間なら合うかもしれない」に変わる。
参考・出典
本記事では、以下の公開情報を参照しました。日本の水路への応用案は、公式情報と地図から筆者が推測した部分を含みます。一次情報にない効果や成果を保証するものではありません。数値は執筆時点で公表されていたもので、今後変わりうる点にご留意ください。
- Candela — P-12 Shuttle(スペック・公式)
- Candela — World's first electric hydrofoil ferry line takes off in Stockholm(航路・充電)
- Candela — The world's first flying electric ferry is a success(利用実績・拡大)
- Artemis Technologies — EF-24 Passenger Ferry
- Stockholm Archipelago — Wikipedia(14島/群島約2.4万島)
- 東海汽船 — ジェット船(伊豆諸島高速船)
- IMO — Cutting GHG emissions from shipping